そろそろ2ちゃんねる的言説は卒業しよう
http://news.livedoor.com/article/detail/4750181/
という記事を紹介してくれた人がいる。

まさに至言だろう。

人間のコミュニケーションの本質というのは、相手にわかってほしいということだろうし、できれば相手の意見を自分の意見よりに変えたいということだ。

そういう形で自己主張ができることがアサーティブネスだというのは、私もアメリカ留学中も含めて何度も聞かされた。

私にも、いろいろなメッセージを送ってくる人がいるが、賢いと思う(これは私の主観である)人は通常、こっちが読む気になるような形で、しかも意見を押し付けるより、情報を紹介してくれるような形でメッセージを送ってくれる。今回のメッセージもそうだった。もちろん、私もその意見を聞く(読む)気がするし、場合によっては考え方が変わることもあるし、こっちの思慮不足を反省することがある。

いっぽう、ケンカ腰でこられても、私が感情的でバカだからかも(私が汚いといったことを根にもっている人がいるようだが、私には汚いやり方としか受け止められなかった。しかし、度量の大きい人なら同じことをされても汚いと思わないかもしれない。そのときは、私が小さい男だとバカにすればいい。しかし、ほかの人も怒るようなら、やはりそれが世間の常識だと自覚しないと、社会では損をする。社会通念や常識を知るという点では、ほかの人に同じことをやってみればいい。ただ、こういう人の場合は、相手が怒っても、それが社会の常識とは思わず、文化人はみんな度量の小さいいやな奴だと思うのかもしれないが)しれないが、まったく読む気にすらならないし、反論ばかりが思いつく。

結局、説得力とは理屈より、感情面も考えられるということだろうし、そうでない人は二流か三流なのだろう。2ちゃんねる的言説や私への不快なメッセージの類は、それでも相手を論破したとか、同調者がいるとか思ってしまうということが危険というのは、よくわかる。

2ちゃんねるのトップはそれなりに儲けているだろうが、その世界でのヒーローは自分ではものすごい影響力と思っているだろうが、世間の成功者とは思えない。

もちろん、世間に迎合しろというつもりはないが、影響力というのはそういうものだということが言いたかった。

しつこいようだが、反論は自己満足にすぎない。その証拠に私のような無名の人間を批判するブログを書いたところで、ほとんど読者はつかないはずだ。

実は、たまたま午前中に、新しく出す予定の、今後の日本の介護地獄とその対策のような本の打ち合わせをしていた。

これは多くの人に知ってほしいし、多くの人のかかわる問題だ。そして、うまくいけばベストセラーになるという期待もあるが、こんなに要介護者が多く、家族も含めると膨大な数になるのに、意外に介護本が売れない(介護映画はほとんどコケないのだが)。たとえば、高齢者がめちゃくちゃに増えてから20年経ってから要介護者が急増するということは意外に知られていない。65歳で高齢者の仲間入りをするが、その半数は85歳以上まで生きる。そしてその半数は要介護や認知症になるのである。

だから、どうすれば読者に読んでもらえる書き口にするかというのが最重要なテーマだった。

情報そのものは絶対に他の追随を許さない自信があるからだ。

ネットと違い、本というのは、手にとってもらってナンボ、読んでもらってナンボの世界である。

私自身も相手に読む気にさせるブログを書かねばと志を新たにした。
ベストセラーになるという期待もあるが、こんなに要介護者が多く、家族も含めると膨大な数になるのに、意外に介護本が売れない(介護映画はほとんどコケないのだが)。たとえば、高齢者がめちゃくちゃに増えてから20年経ってから要介護者が急増するということは意外に知られていない。65歳で高齢者の仲間入りをするが、その半数は85歳以上まで生きる。そしてその半数は要介護や認知症になるのである。

だから、どうすれば読者に読んでもらえる書き口にするかというのが最重要なテーマだった。

情報そのものは絶対に他の追随を許さない自信があるからだ。

ネットと違い、本というのは、手にとってもらってナンボ、読んでもらってナンボの世界である。

私自身も相手に読む気にさせるブログを書かねばと志を新たにした。