2004年度に独立法人化した国立大学を対象にした、研究や教育内容などの評価結果が3月の25日に明らかにされた。文部科学省は新年度、大学への運営費交付金の配分にこの評価結果を反映させるそうだ。最も評価が高いのは奈良先端科学技術大学院大で、低かったのは弘前大というのも、ちょっとしたニュースになっている。

これを評価したのは、大学評価・学位授与機構と国立大学法人評価委員会だそうだ。

前者の大学評価。学位授与機構というのは、以前も何のエビデンスもないのに、自分たちの価値観を押し付けるようなことを平気でやってきた。

かつて京都大学の医学部の教授陣は偉かった。たった5分の面接で医者の適性などわかるわけがないということで、よその大学が入試面接をどんどん採用する中、入試面接を行わなかったのだ。もちろん、京大の伝統から、変人でも研修者に向いた人がいるということもわかっていたのかもしれない。実際、医学部に入る人がみんな臨床に進むわけではない。むしろ国家試験に面接を採用すべきだろう。

ところが、大学評価・学位授与機構は、それに対して、「最低の評価をつける」と脅した。

結局、京大はそれに屈した。しかし、最近になって、面接でそんな判断はできないという当たり前のことに気づいて、(精神科医の立場からいっても5分やそこらで人間が判断できると思う人がいるなら、そっちのほうが以上だと考えるが、今の大学の精神科の教授たちは生物学的精神医学の信奉者なので5分の面接で十分と思っているから、面接導入に反対しないようだ)、いくつかの大学で面接試験を廃止している。面接試験のお手柄と言うと、千葉大学が慶応の集団レイプ事件の元容疑者が、面接のときに、これまで何も倫理に反することをしていなかったと面接試験で虚偽をいったかどで退学させられたことくらいだろう。当時21歳だったのに、親が医学界の実力者(つまり製薬会社に顔がきいた)だったために、なぜか実名報道されなかった主犯の男は面接のない沖縄の大学にいって、現在、立派に医者をなさっておられる。でも、医者としては評判がいいという話も聞くから、やはり面接はあてにならない。

こんな独善的な輩が、大学の評価をしているのだが、最近、それについてコメントを求められたが、驚いたことに、彼らは各大学の評点は発表したが、その判定基準は一切公開していないそうだ。

例のごとく、大学評価・学位授与機構の「主観」による評価なのだろう。

今回は大学の交付金年間1兆2000億円のうち、評価による交付はわずかに16億円だそうだが、その割合は今後増えていく方向だという。

文部科学省の外郭団体に気に入られないと、どんな評価をされるのかわからないのだ。

役人の天下りにはマスコミはうるさいが、文部科学省の役人は、大学の助教や准教授が死ぬ物狂いで論文を書いている中、論文を一本も書かないで教授になるという事態を世間は知っているのだろうか?

山形大学では、教授になったことのない文部科学省の役人が学長選挙に出ているという事件もあった。選挙で負けたようだが、戦前でも役人が学長になったことはないようだ。まさに学問の自由もあったものではない。

交付金を与える役所の役人が、独立法人化した大学に教授というポストで天下り、年収1000万以上平気でもらうことが許されるのか?

そして、それをしないとどうなるかを脅すかのように、今回の発表があったように私には思えてならない。

文部科学省は、この評価の基準やローデータを即刻公開すべきだ。