「先生と小林よしのり先生とではどちらの方が影響力が大きいですか?」という質問を受けた。

まったくの愚問だ。本の売れ方やファンの数、露出頻度をみても彼のほうがはるかに大きいだろうし、実際に政治家のファンをもっている強みもある。

ただ、自民党政権が終焉を迎えたので、現実の政治にどれだけの影響力を与えるかは疑問だということだ。

私のスタンスとしては、世の中が一つの考え方に染まるのが嫌だし、危険だと思うので、いろいろな考え方の一つとして提示しているにすぎない。人生や生き方、政治のあり方に「正解」や「真理」を求める人は、私の読者に向かない。こういうスタンスだから論破のされようはないし、逆に相手を論破する気もない。

ただ、影響力はあるに越したことはない。さまざまな世の中の仮説というのは、実際に試してみないと、当面の「正解」は出ない。減税より、増税して経費を認めたほうが景気がよくなるという仮説にしても試してくれる政治家がいない限り、ずっと仮説のままだ。そのほうが「正しいかもしれない」と言い続けることはできるが、逆に、なんとなく欲求不満がつのるだけだからだ。

そんな私にもファンや信奉者がいるらしい。実際、本日も講演会にきているが、サインを求められるとやはり嬉しい(タクシーに乗り換えのところだったので、道をふさいでいることに、気が小さい分、気がひけたのは確かだが)。

ところが、そんな私の信奉者となのる人が、ひどい書き込みをやっているらしく、犯人の心当たりはないかというメッセージをいただいた。

もちろん心当たりはないのだが、私の影響で考えがねじ曲がったところが生じたのかもしれないと思うと、ちょっと心が痛む。前に林真理子さんが、例の埼玉の婚活詐欺師が、林先生のファンだとブログに書かれて閉口したとおっしゃっていたが、その気持ちが多少わかる気がする。

小林よしのりさんだって、影響力が大きい代わりに、彼の理論を勘違いした知的レベルの低い右翼の人だっているだろう。そういう人がわけのわからない事件を起して、「小林先生に影響を受けた」とか言うと、やはり、迷惑がかかるだろう。

影響力というのは、そういう点では、必ずしももっていて得をするものではない。

それでも、影響力をもちたいというのは、人間というのは、自分の理屈がただの空理空論でなく、実現させたいとか、無視されたくないという心理ゆえのことだろう。

私もその例外ではない。

いろいろな仮説を出し合うのはいいが、くだらない人の批判をしてかみつくより、自分の影響力をいかに高めるかを考えるほうが、少なくとも精神的なイライラやそれによる攻撃性は和らぐはずだ。私もブログのメッセージを読んで感じるのだが、自分の意見が公に認められない代わりに私を論破とか批判しようとする人は、ものすごく攻撃的である。でも、少なくとも日本では攻撃的な書き方をして説得力をもつことは意外に難しい。

人にわかってもらえる形で意見を表明するトレーニングをするほうが、私に余計な批判をするより、よほど影響力を持つことになると老婆心から言わせてほしい。