子供に食事を与えないで、子供を餓死させた夫婦が逮捕されたそうだ。

暴行の跡もあるようだが、保護責任者遺棄致死などという罪名である。

殺意の認定は難しいのかもしれないが、食事を子供に与えなければ死ぬのはわかっていただろうし、暴行を加えた跡まであるのに、殺人ということにはならない。

飲酒運転の人殺しは許せないのはわかるが、少なくともよほどのことがない限りわざと人をはねることはない。しかし、わざと人殺しをしたかもしれない死体については15000件も解剖もせずに、立件していないし、傷害致死とか保護責任者遺棄致死などという適当な罪状で、大した罪にならないことも多い。もちろん、人を殺した人間については、飲酒でも罪が重くて当然だろうが、検問で引っかかっただけの飲酒運転の社会的制裁が、この手の虐待親より軽いのは納得できない。児童虐待は年間4万件あるそうだが、虐待親の罪がせめて飲酒運転並に重ければ、かなり事情も違うだろう。実際、その子供が死ななかったとしても、精神的、肉体的な後遺症はひどいものになる可能性が大きいのだから。

罪刑を考えるときは、社会への影響も考えてほしいとつくづく思った。

いずれにせよ、どのニュースをセンセーショナルに取り上げるかで、罪が決まる社会のようだから、虐待についてはマスコミにもっと取り上げてもらうしかないだろう。

ところで、新学歴社会と日本という本で、私がヒルズ族のような成功者の7割くらいが東大卒ではないかと書いたら、せいぜい1、2割のはずだから信用できないというメッセージをもらった。

確かにヒルズ族の定義は難しい。ヒルズに住んでいる人とか、ベンチャーの成功者ということなら東大卒は1,2割かもしれない。ただ、金融ベンチャーや当時の外資の金融の勝者の人たちの東大卒の比率があまりに多かったので、印象論で7割くらいと言ってしまった。ちょっと軽率だったかもしれないが、当時のリーマンなどの東大卒の比率は半端でなかった。長銀とか興銀のレベルのような気がしたが、詳しいことを知っている人がいたら教えてほしい。ひょっとしたら目立つ人だけのことなのかもしれない。そのメッセージの主は、そこで信用できないと思って、その後は読む気がしなくなってその後、私の本を読まなかったそうだが、インターネットのように玉石混交の情報の時代には信用できる情報の中にもガセが混じっている危険のあるし、2ちゃん的な伝聞情報にもかなり使える情報が混じっていると言う読み方をするほうがメディアリテラシーのように思えるのだが。

いずれにせよ、東大ばかりでなくても、ITベンチャーの時代と比べて、金融の時代(その本を書いたころはそうだった)は高学歴者の成功者が多いのは確かだったし、バイオベンチャーの時代にはもっとその傾向は強まると信じている。

いっぽうで、女医さんのお受験競争のすざまじさについてのメッセージもいただいた。一言だけ言わせてもらうと、小学校のお受験は、大学入試にはほとんど影響ない。日本でいちばん難しい慶応の幼稚舎に入れても、慶応の医学部すら小学校組は2,3人いけばいいほうらしい。付属上がりで医学部に行く人の多くは中学校や高校から入ってきた人のようだ。賢い子供をバカにするシステムなのではないかとさえ思えてしまう。

ただ、日本は外国ほどいい寄宿制の中高がないので、夫婦で医者などをしながら子供を医学部に合格させるのは多少難しいかもしれない。私としてはそういう人を応援できるシステムも考えてみたい。

その人は女医さんが果たして幸せなのかとも書いていた。

何が幸せなのかは難しい。

でも、私も娘には、男を頼りにしても、必ずしも勝ち組の男をゲットできるとは限らないし、喧嘩しても我慢しないで済むには自分で稼げるようになるしかないと教えている。

このご時勢で、女性で食っていける資格を得ただけでもましと思うしかないように考えるのだが。

ということで、学歴は邪魔にならないから、それでけがすべてではないが、高めておくに越したことはないというのが、私が少なくとも親しい人にはするアドバイスである。