今朝は、私が尊敬する梶原しげるさん(著書にはずれがほとんどないのは大したことだ)のネクストワンという番組に電話出演する。梶原さんが私のブログの認知症高齢者から運転免許を奪うことについての問題提起を読んでいただいていたためだ。

ついでに、飲酒運転と地方自治の問題や、15000人もの殺人の可能性がある死体を放っておいている国で、年間数百件の飲酒死亡事故やもっと少ない認知症患者の死亡事故を減らすために、地方の人や軽い認知症の高齢者にそんな不便を強いていいのかという意見も語らせてもらった(ここの表現は下手だったと自分では反省している)

全国のFM局にネットしているから地方の人間に考えてほしい、知ってほしいという意図からだと思う。

実は、飲酒運転問題でさんざん口汚いことばで批判のメッセージを送る主のメッセージを、また別のハンドルネームを使われて、今度は件名のところが比較的穏当なものだったので、うっかり開けてしまった。

そのメッセージには、アメリカでは飲酒運転に甘い代わりに多数の死者が出ているから、今の日本のやり方が正しいという主張をしたいようだった。

ここに私との見解の相違がある。たくさん人が死んでも、アメリカでは免許を取り上げたら社会的な死を意味するから、それこそスラムに住まないといけなくなるから、そこまで厳しくやらないのだろう。実際、公共交通が使えるマンハッタンの中では相当に厳しく取り締まっている。またフランスのように食事にワインがつきものである国では、その文化を守るほうが死者を減らすより大切だと考えるから、取り締まりをほとんどやらない(それでも、昔よりは増えたという話を聞いたことがある)。

飲酒そのものを合法化する以上は、どんなに罪を厳しくしても飲酒運転を根絶できない。それは酩酊という状態が存在することと、依存症を引き起こすという問題があるからだ。

前者は、飲み始めのときは、車をおいて帰ろうと思っていた人が、酔っぱらってわからなくなってしまって、また気も大きくなって運転をしてしまう人をゼロにできないということであり、後者は依存症になってしまった人は、車でないと動けないのであれば、わかっていても飲酒運転をしてしまうことがある。

飲酒行動が合法である以上、そういうことは仕方ないと割り切るか、あるいは、それでも許さないかを決めるのは、おそらくは民意というものなのだろう。法律というのは国会議員が決めるものであるし、民意に基づいて行われるのは正当なプロセスだ。そういう点では、メッセージの主のほうが民意に近いと言える。

ただ、民意を形成するのに、マスメディアが大きな影響を与えているのも確かだ。福岡の3人の子供が亡くなった事件では、加害者が福岡市の職員だった。当時、福岡と東京でオリンピックの候補地を選んでいた最中だったが、東京のマスコミは、わざわざ福岡市の職員であることを強調した。

実際、年間1200件の殺人事件があり、まだ6000件程度の交通死亡事故があるが、どれを大々的に取り上げるかは東京のマスコミが決めている。

メッセージの主の書いていたことで私が誤解していたことがある。勝谷氏が「東京は平壌なみ」と言ったのは、言論統制のことだそうだ。これには私も同意する。地方の実情を考えたら、厳しすぎる飲酒運転の厳罰化はいかがなものかなどという発言は東京のテレビでは絶対にできない(たかじんの番組でも許されない可能性も小さくないが)。

私としては、東京の人間が払った税金が地方の赤字の埋め合わせに使われるのを嫌がって、JRを民営化した時も東京の立場でしか成功と報じないで、その上で、いくらでも公共交通機関を使える東京の人間が、それができない地方に、一方的に飲酒運転の厳罰化を迫る報道を続け、そういう法律を成立させたことに後ろめたさを感じてしまうのである。

しかし、このメッセージの主のような声が地方でもマジョリティなのであれば、別に私が大きなお世話をするつもりはない。

東京が嫌いなら東京に住むなという言い方もされたが、東京は好きだし、地方になど住む気はない。はるかに便利で、はるかにいろいろな選択肢があるのに、わざわざ地方に住む気なとまったくない。成城学園ですら田舎に思えて、多額の借金をしてまで文京区に住む人間なのである。

しかし、郷里を捨てて、東京で安楽な暮らしをしている人間にとって、東京にしかお金が入ってこない税金のシステムや、地方がちょっと赤字になったからといって無駄と切り捨てるのは、とても後ろめたい。東京のほうが税金が高くて、それを地方に回すべきだと、本気で考えている。小沢一郎という人や田中角栄という人が嫌いになれないのもそのためだ。それが嫌なら東京に住まなければいいというくらい、東京のほうが恵まれている。

このメッセージの主は地方のほうが幸せだというし、私が地方のことを知らないのに論じるなという。

その通りだ。私は地方のことは知らない。これだけ東京に踏みつけにされて(と私が勝手に思っているだけかもしれないが)実は、このメッセージの主のような人のほうがマジョリティならば、え地方の人の考え方は、私の想像とはまったく違う。実際、地方の人と話していても、飲酒運転の厳罰化がよかったという人もいるし、逆に腹を立てている人もいる。ただ、前者のような人が多いのなら、私の後ろめたさがかなり軽減される。そういう点では、この主に感謝している。

本日も県別の平均所得が発表された。一位の東京が450万円なのに、最下位の沖縄は200万円ちょっと。倍以上も違っている。こういうニュースも後ろめたさをさらに深刻なものにする。

そういう点では、たまたま開けたメッセージの主の話が本当だと信じたいくらいだ。

別に私はこの人のメッセージが間違っているというつもりはない。いろいろな考え方があって当たり前だ。一方では言論封殺を批判しながら、もう一方で、私の飲酒運転についての意見を2度と書くなというダブルスタンダードと、育ちのせいなのか、教養レベルのせいなのか、性格なのかしらないが、口のきき方を知らないから、こちらは読まない自由がある(書くことを禁止することはしない)ということが言いたいだけだ。


ところで、こんなに後ろめたくても、やはりずっと東京の街中に住みたいと思うのは、本当は私はやはり性格のねじけた人間なのかもしれないし、それだけ東京の街に麻薬性があるのかもしれない。