鳩山首相を精神分析したらどうなるかというメッセージ。

確かに、今の鳩山氏に問題発言は多いような気がするが、精神分析というのは診断法やテストではなく、治療法である。(ここが誤解されるので、マスコミの人に、小沢さんの精神分析をしてくれとか、そのほかの依頼が意外に多い)精神分析治療を行えば、心のストレスがとれたり、人間性が豊かになることになっているので、頼まれたらやってみたいが、今はどんな人間かわからないのが正直なところだ。

ひき逃げ事件が多い。一件は抗議に車の外に出た人間をひき殺したようだ。

これは殺意があるととっていいし、殺人事件といえる。

こういうひき逃げ犯を厳しく処罰するのは重要なことだが、おそらくは飲酒をしていたのだろう。飲酒事故がばれると重罪だし、免許がなくなってしまうから、飲酒運転、飲酒事故を厳罰化してから、この手の事故が非常に多い印象だ。相手を轢いても通報すると、自分がつかまるからと放っておいて、結果的に相手が死ぬ。保護責任遺棄の罪を重くすべきだし、ひき逃げの罪を重くすべきだが、危険運転致死傷罪にひっかかると相手が死なないで、負傷レベルでも懲役15年を食う可能性があるから、ひき逃げの10年より重くなってしまう。日本の場合は罪が和にならず、重いほうを課せられるから、飲酒事故の負傷に対して、こんな厳罰を課すために、死ななくていい命が失われてしまうというパラドックスを誘発する法体系である。

東京の発想では飲酒運転や飲酒事故を厳罰化しろというのはよくわかるが、即座に免許を取り上げられると、やはり痛いだろう。仕事を失うかもしれないし、雇ってもらえなくなる、身動きがとれなくなるなどという地方はいくらでもあるだろう。

アルコールというのは、酒税を稼ぐために体に悪いのを政府が容認している依存性薬物である。依存のために、やめられなくなった状態でも、地方だと車がないと身動きができないから、罰則をどんなに厳しくしてもやめない人はいるだろう。

だとすると、無免許でもそういう人は運転するかもしれないし、無免許運転の罪が飲酒運転より軽ければ、それも誘発してしまう。

たとえば、いくら飲酒事故を起しても、轢いた人間を助けるために救急車を呼んだ場合は、多少の罪の減免をしてやるとか別のインセンティブをつけたほうが現実には人命を救うことになる。

禁酒法を作らずに、酒を容認する以上、アルコール依存も一定数生じるし、酒の勢いでの暴力事件やひどい場合ならレイプも起こるだろう。飲酒運転だけを厳罰化するのが、どうしても腑に落ちない。あるいは、制限時速40kmの公道で100km出して人を引いても危険運転致死罪にはならないが、飲酒運転とどっちが悪いといわれると、こっちのほうが確信犯である気もする。

ただ、私が言いたいのは、何でも厳罰化とか、禁酒法を作ればそれで済むということではなく、酒を合法化すれば、あるいは赤字を理由に公共交通機関をどんどん廃止にすれば、一定の確率で、人の命が失われる。これはどんなものでもそうだろう。タバコが合法のおかげで、そばにいる人間ががんになって死ぬことがあるかもしれないが、タバコを吸っている人間が罪になるわけではない。でも、タバコにはストレスの解消効果もあるし、また財政にも一定貢献している側面もある。どっちを取るかというバランスが、現状くらいならまあいいかというのが、本音のところだろう。

高齢者が増えれば高齢者の事故も増える。だからといって、高齢者の免許を取り上げていけば、どんどん高齢者のアクティビティが下がり、寿命が短くなったり(そのほうが財政としては助かるが)、寝たきりや要介護が増える可能性も高い。どっちのメリットをとるかは東京のマスコミが決めていい話でないことだけは確かだ。

いっぽうで、33000人も自殺がいるのに、あるいは15000人も、殺人かもしれないのに、解剖もせずに捜査もしない死因不明死があるのに放っておく国で、1000件程度の高齢者の死亡事故や、200件程度の飲酒死亡事故に目くじらを立てて、人々のメンタルヘルスや高齢者のアクティビティを奪うというダブル・スタンダードや地方に対する配慮のなさが、どうしても納得できない。

人は100%死ぬ生き物である。世の中が変わる中で、どの程度は社会のコストで死亡者が出るが、それを許すべきか、許さないべきかなどをもう少し真面目に論じる機会があってもいいのではないだろうか?