今朝は、私のチョンボから、ある尻拭いのために、朝のいちばんの新幹線で大阪行き。

ガラすきの新幹線のグリーン車に乗っているので、少し仮眠を取ろうと思ったのだが、後ろに人が座っている。昔と比べてリクライニングが深くなっているのだが、根が小ギモなので、人が後ろに座っているときは、思い切り後ろに倒すのが気が引けてしまう。

よく見ると、左側の席しか売っておらず、右の席は誰も座っていない。

グリーンの場合、窓側を買うと、隣があいているように配慮されていることが多いが、団体が買った時用にあけているのかもしれないが、空いているときくらい、もう少し工夫した売り方をしてもらえると嬉しい。

第一、下りの場合は、左側の席はまぶしいのだ。

さて、前から気になっているメッセージにちょっと答えることにする。

境界性人格障害と診断され、障害者の3級をもらっている人が2年仕事が続いているのだが、上司と折り合いがつかないという話である。

日本で同じ病気でうまくいっている例を知らないかということだが、おそらく文化人の人たちには、明らかにボーダーラインと思われる人が大勢いる。対人関係能力や衝動のコントロールが悪くても、その能力や才能があまりにハイレベルであれば、使わないと仕方ないし、暴君として振る舞うことができるのだろう。ただ、誰と名前を出すわけにいかない。

ボーダーライン(境界性人格障害という言い方が嫌いなので、以下そう書く)というのが、心のバカ状態だとか、池田小学校の犯人はおそらくボーダーラインだったというようなことを書いて、ものすごい反撃を食ったことがある。ネットではあちこちでボロクソに書かれ、オフィスには嫌がらせの電話とFAXを彼がボーダーラインの仲間とネットワークを作っているらしく、組織的に送りつけられた。これがしばらく続いたときには本当に閉口した。

『バカとは何か』という本にも書いたことだが、日本では、バカというのは差別用語として使われない。要するに先天性の精神遅滞とか、認知症の人に、外の人ははっきりとバカとは言わない。差別的なニュアンスとしても使わない。日本中のアホとかバカということばを研究した『全国アホ・バカ分布考』にも、そのことははっきり明記してある。どちらかというと、親愛があり、しっかりしろというときに使う言葉なのである。

そして、私が考えるに、おそらく治る状態のときに、アホとかバカとかいうことばを使う。で、私はボーダーラインは、現状では不適応でバカ状態だが、適切な治療や環境で治ると思ったから、バカという言葉を使ったのだが、ボーダーラインの人の問題点として、怒りだすとその抑えが効かないところがある。バカと言われてカッとしてしまうと、後の説明が聞けなくなってしまうのだ。

ついでにいうと、私は人格障害ということばも嫌いだ。(今は精神神経学会もそう認めて、パーソナリティ障害と呼ぶことになった)ボーダーラインでない人が人格者で、ボーダーラインの人が人格が劣るなどとは思っていない。

さて、基本的にボーダーラインの問題点は、対人関係の不安定と衝動のコントロールの悪さが問題になっている。ダニエル・ゴールマンに言わせるとEQが低い人だ。IQが低い人が人格が低いと言われないように、EQの低い人だって人格が低いわけではない。ある種の能力の欠如である。

ゴールマンはEQ教育を学校や会社で行うことでEQをあげることができると主張しているが、多くの人にはあてはまるだろう。ただ、最近の考え方では、ボーダーラインの人の多くが、ある種のアスペルガー傷害で、かなり先天的な要素が強いので、教育だけでは難しいという考え方もある。

精神分析の考え方では、もちろんボーダーラインは治療可能である。ただ、それには相当の時間と手間がかかる。日本の精神医療ではフォローできるところがほとんどないし、アメリカでも保険の利かない精神分析に通い続けるのは、金持ちのボーダーラインの人だけだ(アメリカでもセレブリティのボーダーラインが大事な客層だ)。

最近の私の人生観では、苦手を無理に克服するより、得意を伸ばすほうが生きていきやすいと考えている。

EQが低くてIQの高い人は、EQを高めようとするより、高いIQを使って社会で成功するほうが、よほど生きやすい。文化人や芸術家の人などは、まさにその口で、ボーダーラインでも才能のほうを磨くことで社会で成功者になっている。衣食足りて礼節を知るとはよく言ったもので、成功者を続けていくうちに人間が丸くなってボーダーラインがよくなる人も多い。

私もおそらくはアスペルガーの気はあったし、ボーダーラインに近いところもあった。今でも、人間関係や衝動のコントロールは人より劣っているかもしれない。

でも、昔と比べたらずいぶん人間が丸くなったのも確かだ。

私がメッセージの主にアドバイスできることがあるとすれば、自分のとりえを真剣に探し、それを思い切り磨いて、その道で食べていくことだろう。今週の週刊文春の家の履歴書に私が出ているが、私の母親は私が人間関係不適応者であることを見抜いて、何でもいいから資格を取れといって教育した。

私が好きなことを言えるのも最後は医者に戻ればいいとか、受験産業でのとりえがあるから、食べるほうは大丈夫だろうと思えるからだ。

ついでに言うと、自分が精神的な欠陥者であるせいか、患者の気持ちがわかるためか、精神科医としては比較的治療成績はいい。

そういうとりえがあると、対人関係のバカ(だから診察室以外の場では、ボーダーラインの文化人の人とつきあうのは苦手だし、なるべく避けている)でも、女性にもてないとかそういう点は改善されないが、何とかやっていけるものだ。

もちろんIQもEQも低く人とか、そういうとりえが見つからない人もいるだろう。でも、少しでも、これなら人に負けないというものが見つかれば、対人関係の悪さをカバーできるのは事実だ。

あるいは、対人関係のからまない職場を探すとか、何か打開策を考えるといい。

ただ、だからといって、そのとりえが商品価値をもち、打開策がうまくいくことがある程度までは早まってはいけない。

今の職場で我慢できる能力を磨くのも、重要なバカを治す方法である。

その場合は、本当に楽しい憂さ晴らしの場を見つけておくのも一つの知恵だろう。