家族中から私のブログが長いと顰蹙をかった。

確かにそうかもしれない。

前半でいろいろなメッセージに答えることにして、後半で本論に入っていることも長くなってしまう原因だろう。

ということでメッセージへの返事が少し減るかもしれないがご了承いただきたい。

もとのまま長いほうがいいというご意見が圧倒的だったら長いまま継続することも検討している。

ということで、今回もさまざまなメッセージをいただいたが、二つだけお返事したい。

一つは、主観的な幸せと俗的な幸せを二項対立のように書くのはおかしいというもの。まったくその通りで、両立できるに越したことはない。かねてからEQとIQも二項対立でなく、両立すべきと論じてきたように、私は基本的にwin win論者だ。教育などでも欲張りなほうがいいと思っている。ただ、今回に限り二項対立のような書き方をしたのは、贅沢を知ったり、俗的な成功をしたりすることで、かえって主観的に不幸になることがあるということを肌身で感じたからだ。その両立の方法論が見えてくると本当にいいのだが。

一つはCIA(かもしれない)とコンタクトがとれたというもの。ご本人も本物か確認をしようがないと考えておられるが、そういうスタンスがネットの時代なら大切なのだろう。

これにしても、バーチャルなことが本物と思えたほうが幸せなのかもしれない。

バーチャルと本物の区別がつかない時代であれば、妄想と現実の境もよけいにあいまいになるだろう。

こんな時代の精神科医は難しい仕事かもしれないし、自分自身の本物感覚が試されるのだろう。

でも、昔なら妄想の世界でしか、現世のつらさに耐えられなかった人が、バーチャルな世界で耐えられるということなら、これもある種の人類の発明なのかもしれない。

格差社会の心理的な生き残りの装置が作られているということなのだろう。

でも、ネットの中で絶世の美女と恋愛できても、人間というものは本物をほしがってしまうし、バーチャルな世界で立体感だけでなく、味まで感じられるようなものができても、本物のグルメを求める人は出るのだろう。

そういう際に、バーチャルなもので、十分満足できるほうが幸せなのだろうし、人類の進化の形なのかもしれないと思うと、逆にさびしくなるのは、私が進化の途上にあるからなのだろうか?