「あんたは東京の人間で地方の事がわかっていなく、知ったか振りをしている事が地方の人間ならすぐわかる。東京の人間である和田秀樹に地方でしか放送していない番組が沢山ある事
を教えてあげたんだから感謝しなよ。言論規制がある東京のマスコミだけを見てるのは関東の連中だけ。」「関東の規制だらけな政治・経済番組と違って、東京で放送しないので規制が無いため言いたい放題議論が出来る。」というメッセージをいただいた。

私が地方の事をわかっているというような僭越なことを言うつもりはないのだが、知ったかぶりに見えることについては反省はしたい。私が言いたいのは、東京のマスメディアが地方の事情(たとえば、JRを民営化して帰りの交通機関がなくなったり、地方の人が東京の人よりずっと収入が少ないのに、飲酒運転の厳罰化をやって、地方の飲食店がかなりつぶれていることなど)を知らないで、東京の正義感で番組を作り、記事を書くことを批判しているだけで、私が地方のことをわかっているといいたいわけではない。むしろマスコミの連中が地方のことをわかっていないことをわかっていないのに、知ったかぶりをして、かつ現実に法律まで変えて、地方の人を苦しめている(これだって、地方の人は素直だから、苦しめられていると思っていないことを話してみるとわかることもある。彼らも飲酒運転は悪いことだと思っていて、私が欧米の飲酒規制の話をすると、やっと憤慨することも珍しくなかった)ことに怒りを覚えるのである。ただ、東京の人間は飲酒運転がものすごく悪いこと(本当はスピード違反のほうが10倍以上の人を殺している)と思っていて、悪気もなければ、地方をいじめているという自覚がないのと同様に、たとえばJALの倒産やJRや郵政の民営化で、東京はサービスがよくなるので、全国的によくなると素直に思っている。知らないことは悪気がない形で、結果的に相手を苦しめることがある。知らないことを自覚しようといいたいだけで、私だけ知っているつもりはない。

ただ、私はたかじんの番組(地方でしか放送していない番組が沢山あることを教えてくれたというが、さすがにそういう番組が沢山あるのは知っている。ただ、その枠は大阪ですら1日5,6時間しかなくなった。昔はもっとあったし、大阪の朝日放送などは、テレビ朝日が弱いので、自分たちのほうがキー局だと名乗っていた時代すらあった)でも、規制があることは知っている。なぜ、大阪タレントの北野誠が追放されたのかも知っている。これを教えてくれた人は、たかじんの番組でけっしてそれを言わない。私が問題にしたいのは、たかじんの番組や、阪神タイガースの優勝で、ガス抜きをすることで、大阪が勘違いをして、どんどん経済などで東京に水をあけられてしまうことや、大阪の人間がなんとなく満足してしまうことだ。もちろん、大阪は東京と価値観が違うのだから、貧乏でいいというのも勝手だが、昔の強かった頃の大阪を知って(といっても子供時代のことだから、知ってというより、感じてなのだろう)いる人間にはさびしい。「東京の飯は日本一まずい」と聞けば、大阪や地方の人は満足もするだろう。確かに貧乏な人には、あるいは値段の割には、東京の飯は日本一まずいのは事実かもしれないが、お金さえあれば東京はいくらでもおいしいものが食べられるし、京都の一部の店を除いて、大阪で食べられるものはほとんど東京で食べられるようになってしまった。テレビでガス抜きを受けて、東京が可哀想だと思って自己満足をするのは勝手だが、自分の地方でしか食べられないものが、オーナーの金儲け主義のために、平気で東京に進出すること自体を少し怒ることも必要な気がする。

ただ、何度も言うが、これはブログで、マスコミのように法律まで変えるだけの力をもつメディアでないし、基本的には自己満足のために書いている。読みたくない人は読まなくていいし、「あんた」呼ばわりをされて不快な思いをしたくない。だから、このメッセージの主からのメッセージはたぶんもう読まないだろう。後言っておきたいのは、知らないことがない人間はいないが、自分が知っていることは書ける。そういう情報がいろいろと表に出てくるのがインターネットの面白いところで、知ったかぶりがいけなくて、そういう人が知ったかぶりを書いたり、言ったりできなくなるのなら、逆に情報をえるチャンスなどなくなってしまう。

統合失調症はストレスが原因ということを平気でNHKが報じていたことを教えてくれた人もいた。やはりテレビメディアは偏見を助長するのは事実だろう。

いろいろな偏見を正す方法が「規制」だとは言わないが、誤った情報やたとえば、検察のリーク情報(記者会見でないから無責任でいい)を平気で流すことは偏見を助長するのは確かだ。

原口氏が叩かれているようだが、テレビ局は許認可事業で、それで儲けてきた(たとえば、自由に開業できて、地上波が100局もあれば、今までほどは儲からなかっただろう)のだから、規制は受けてしかるべきだ。

もともとテレビ局は開局する際に、きちんと条件を満たさないと認可を得られないようにしている。たとえば、テレビ朝日は開局時は、教育テレビとして免許を受けたので、教育番組を50%以上、教養番組を20%以上流さないといけなかった。総合局になっても、ちゃんと規制はある。ニュースを何%以上、教養番組を何%以上流さないといけない規制である。そして、その規制を満たしているという報告書を総務省にテレビ局は報告書を出している。

私が原口氏なら、「小沢氏側が虚偽記載をしたかどうかはわからないし、虚偽記載をしたとすれば法に触れるいけないことだ。しかし、それを報じるテレビ局の側が、われわれへの虚偽記載をしているとすれば当然許されることではない。娯楽番組を教養番組として報じていないかなど、虚偽記載について具に精査して、あれば、免許をどうするかを含めて検討したい。法に触れるとか虚偽記載がいけないとかいうくらいだから、そのくらいはおわかりでしょう」とでも言ってやる。

そうすれば、なんと言う番組が教養番組として報告書に出ているか、なんという番組がニュース番組として報告されているかが明らかになる。さすがにおかしいと国民がわかるはずだ。この法の執行が適切に行われれば、もっと教養番組も報道番組も増えることになるし、日本人の愚民化が多少は治まるだろう。

公共の電波を使う以上は、規制を受けるほうが当然だ。その代わりに規制の少ないメディア(インターネットや雑誌)などが、真偽はわからないが、多面的な情報源になる。当然、そっちのほうが情報源として貴重という認識が高まれば、広告ももっと入る。

規制をなくして、テレビだけが強くなりすぎたことに、日本の不幸がある(外国と比べての話だが)というのは言いすぎだろうか?