毎年、メールマガジンで年頭所感を書いていたが、本年はブログでということで。

個人的には、やっぱり映画を撮りたい。

実は、かなりあたりそうな企画が二本あるのだが、どちらかの製作発表ができるように絶対にしたいと願っている。

ただ、映画だけと思われそうだが、やっと事務所や自宅を都心に移したこともあって、ビジネス面でも著述面でも、やはり成功を収めたい。

教育産業のほうも、私がもっと前面にでて、また実際に携わって、学校コンサルティング事業や学力向上の会、そして通信教育や塾の生徒の学力向上を通じて、本当に役立つビジネスにもっていくとともに、常に冷遇されてきた民間教育産業の地位向上にも尽力したい(いちばん結果を出し、もっとも子供たちの学力を上げてきたのに、審議会の委員にも選ばれないのは、民主党政権になってからも同じことだ。万が一、私が選ばれることになれば、大学教授とか精神科と名乗らず、堂々と教育産業の経営者として参加したい。それで断られるのなら、もちろん願い下げである)。

世の中がどう変わっていくのかについては、たまたま年末に出た大阪のラジオ番組が「たねまきジャーナル」という番組だったのだが、日本という国が変わっていくたねをまく過渡期なのだろうと私は認識している。

確かに、民主党政権は期待はずれだったのだろうが、公開で予算編成のしくみを見せようとしたり、何より、選挙で政権が変わるということを知らせた意味はある。そして、自民党が、政権を離れるといかに力がないかも多くの国民が知ることになった。あるいは、今はあわてて収束をはかっているが、普天間のような問題にしても、意外にアメリカが報復しないということを知れば、外交面でもたねまきになったともいえる。

私は、ラビ・バトラやマイケル・ムーアと同じく、資本主義でも共産主義でもない世の中になる過渡期に世界があると信じている。先に共産主義が倒れた(中国のような形で残ることもあるが)ために、資本主義がまともな体制と思われがちだが、格差が是正されない限り、選挙制民主主義はつねに不安定なものになるし、それ以上に、消費不足が慢性化する。国民全体という観点から言うと、やはり格差社会では教育レベルも下がる。

人類が発達したければ、新たな体制を模索せざるを得ない。

相続というシステムも、今となっては高齢者にだけお金が集中し、現役世代の負担だけを増やすシステムと化してしまった。相続年齢が30代だったのが60代になっては、過去の遺物としか言いようがない。生前贈与の一般化という選択はあるが、これも格差をさらに大きなものとしてしまう。

地方と東京の格差も是正していかなければいけない。

私が地方の肩をもち、飲酒運転の厳罰化を反対しているのだが、どうしても飲酒運転を厳罰化したいのなら、公共交通機関のない地方の人は、電車賃と同じ値段くらいでタクシーや代行に乗れて、差額を警察の予算で補助するようなシステムを用意すべきだ。JRの赤字を減らすことで得をするのは、東京の人間だけなのだから、東京から地方への補助金として、そのくらいのことをすべきだし、地方はそれを要求すべきだ。そうすれば、地方のタクシー業者や飲食店も立ち直り、ある程度景気浮揚効果もあるし、地方の人のメンタルヘルスにもいい。タクシーに安く乗れるなら、ちょっと一杯という感覚になるだろう。

もちろん、たねまきの後の試行錯誤の期間はおそらくそう短いものではないだろう。

民主党は4年間選挙をしないだろうが、4年後にヨーロッパ型の社会民主政権ができるとは思えない。

自民党的な思考で、かつ権力志向、トップダウン型の人たちが魅力的に映るだろうから、私の予想では首長連合のような新政党が次の政権を握るだろう。

これも国民的人気を得るだろうが、根が競争原理の人たちばかりだから、格差は拡大する。ただ、地方の自治権が少し強くなるし、そのための憲法改正くらいやってしまうかもしれない。

それもダメということで、ようやくヨーロッパ型という選択や、別の選択が考えられるだろうが、首長連合も地すべり式の勝利になるだろうから、おそらく4年間は選挙はない。

8年後(正確に言うと7年半後)に、まともな政権ができるまで、私もいろいろとたねをまいていきたい。

その間に子供たちの教育レベルが下がり、日本がアジアのアホ国にならないように、できる限りのことをするくらいが私の能力の限界だろうが。

でも、そういう努力を続ける1年にしたい。あきらめたり、やめたりすれば、終わりなのだから。