いろいろと論争があったり、いやなことを書かれて、ブログでちょっとめげていたが、励ましのメッセージをいただいたり、尊敬しているというようなことを書いてもらったり、いろいろと立ち直らせていただけるのもブログを通じての話だ。

あと、いろいろと勉強になるメッセージもいただける。

臨床研修制度はいろいろな科を回れる代わりに、その期間中はお客さんでいても平気なので、やる気のない医者には単なるモラトリアム期間になってしまうなどというのは、私も気づかなかった視点だった。こういう情報を得られるのもブログを書くメリットといえる。そういう意味で、書いてよかったと思わせてもらった。

いっぽう、私が、受験勉強で、情報処理能力や時間管理能力、メタ認知能力などさまざまな能力が養われるというような著書を最近何冊か書いているせいか、私が「東大をでれば、人生高みに上れるファクターの大部分はそろっているとの意見ですが」という風に思われているメッセージをいただいた。(私とは確かに違う考え方だが、書き方が礼儀正しく好感もてたことも付記しておく)

前に書いたかもしれないが、堀紘一氏は、東大のほうが多少確率が高いかもしれないが、東大卒の8割だったか9割だったかは使えない人間だと私に語った。

「使えない」というのは、言い過ぎのようだが、おそらく仕事能力で有能な人は東大卒の半数もいないように私も思う。実際、私の通信教育で、東大生の講師採用のための面接を行っていてもそんな印象だ。

一つには、受験勉強が、たとえばメタ認知能力のいいトレーニングになる、つまり模擬試験を受けることで、自分の弱点を分析して、その対処法を考えたり、捨てるところは捨てるなどの対策を考えたりするなどの社会に出てからの生き方のトレーニングになるとしても、現実には、そんなことをしないで普通に順位や偏差値をみるために模試を受けても、ある一定レベルの秀才なら東大に入ってしまうということがある。(そのほか、どんな能力が開発されるかについては、『反貧困の勉強法』--講談社プラスアルファ新書――を参照してほしい)とある、東大合格率の高さを誇る名門塾があるが、そこではものすごい量の宿題を出す。おかげで、そこの塾の卒業生は使えないし、教養がないことが非常に多い。

つまり、勉強ばかりして、勉強法の工夫をしなかったり、教師や親の言いなりになって、それこそ「青春を犠牲にして」勉強しても東大に入ることは可能である(ただ、入る確率は低くなる)。

それと比べて、勉強法を工夫して、情報処理などの能力を高めながら、東大に入る人もいる。そういう人は時間の使い方がうまいので、それほど青春を犠牲にしない。私も高校3年生のときに映画を300本も見ることができたのは、勉強法の工夫の賜物と思っている。

つまり、東大に入るための勉強の仕方が将来に影響するのである。だから、東大に入れるだけの十分な学力がある人も、和田式勉強法は目を通すくらいのことはしてほしいのだ(自慢ではないが、本年は私の勉強法の通信教育の卒業生が東京大学の理科Ⅲ類にトップ合格した)。

もう一つは、教育というのは欲張りなものであるべきだと私が考えていることがある。

いくら受験勉強法を工夫しても、EQ能力がそれほど開発されるわけではない(共感能力や感情のコントロール能力、自己動機づけ能力などはある程度は伸びると信じているが)。創造性の教育や疑う能力の教育などもそうだろう。

だから、受験勉強以外にそういう教育を学校教育や民間教育で受けるべきだと考えている。

私も実は、小さな赤字の(中途編入を認めないからかなりの小人数なので)私塾を開いている。林真理子先生や南場智子先生、樋口裕一先生など、各界の様々な人に講師を依頼して、いろいろなジャンルの講義を開いたり、私自身がほかの能力開発にもチャレンジしながら、受験勉強法もしっかり教えている。そこの卒業生がどういう風になるか本気で注目している。

ただ、もう一つ言っておきたいのは、あまりに学力低下が進んだり、少子化であまりにいろいろな大学の門戸が広がったりしたため、東大生がぱっとしない以上に、そのほかの、とくに私立大学の学力低下がひどいこと、学力以外の教養レベルが下がっていること、意欲や創造性も東大生以上に低下していることがある。

これは由々しき問題である。

私が学生のころは、早稲田や日大にも哲学青年がいっぱいいたし、はっきり言って私などより教養レベルは高かった。

今はそういう学生は東大にも少ないが、他大学では皆無に近い状態だ。

私の通信教育や塾で使っている学生(つまり、私の面接やうちの会社の試験に合格した東大生)をみても、まだまだ東大には優秀な奴が多い。

東大に入るために青春を犠牲にするというが、勉強法の工夫で、ある程度本を読んだり、スポーツも可能なはずだし、では、青春を犠牲にしていない高校生が何をやっているかというと、多くの高校生はゲームをしたり、のんべんだらりとしている。

体育会系のクラブで全国大会レベルを目指していたり、本ばかり読んでいたり、恋愛を一生懸命したりという学生はともかく、のんべんだらりと過ごすのと比べたら、受験勉強をしているほうがはるかにましだ。

そういう点で、今の東大生に満足していないが、東大生のほうがましだと思っているし、企業の認識も似たようなものだと、私は東京の経営者をみてそう思っている。

もちろん、堀氏の言うように、昔の東大卒にもダメな奴(私も含まれるのかもしれないが)がいっぱいいたことも素直に認めたい。