朝日新聞で共通一次試験とはなんだったのかという取材を受けた。

そんなこんなで過去のことを思い出してみる。

当時の論調として、基本的に、この試験は、大学入試が難問化しているので、基本的な問題をきちんと履修していればできる試験で、入試の成否を決めるシステムを導入しよう、過度な受験競争を排除しよう、そして、特定の進学校に通っていなければ、名門大学に入れない状況を打破しようという目的で始められたものだったはずだ。

確かに当時の灘高校は、高2までに高校のカリキュラムをほぼ終えていて、高3は受験勉強に専念できた。おかげで、たとえば、日本史であれば、論述対策に新書を読むこともできたし、東京出版などから出ている数学の難問集にチャレンジすることもできた。公立高校の連中が、高校のカリキュラムを終わらせるのにアップアップだったのだから、有利なのは事実だ。

そして、われわれも、易しい問題でたくさん点を取らないといけない共通一次試験は脅威だった。

こういう問題なら公立の連中に負けるかもと焦ってもいた。

結果的に、杞憂だった。やはり高校2年生までに高校の範囲を終えていれば、共通一次対策に十分時間が取れたのだ。その年は東大合格者数トップは開成に譲ったが、理科Ⅲ類には現役で19人も合格してダントツだった。

以降も、中高一貫校が東大合格者数や医学部合格者数で圧倒的に強い現実は変わっていない。

役人や学者が頭で考えた対策では、受験競争を緩和したり、地方の公立学校を救済することはできなかったのだ。

最近になって、一部の公立高校が復活したが、これは当たり前のように勉強をさせた結果である。一般の子供の勉強量を減らすことで、公立がよくなるわけはない。私立は勝手に勉強をさせるから、格差は広がるだけなのだ。

その後も、ゆとり教育を含めて、文部科学省が理屈でこねくり回して成功した政策はない。

共通一次試験が始まる直前に、東京教育大学が筑波大学という形で追い出され、文教政策を東大が握るようになった。しかし、東大の教育学部の教授で現場経験のある人間はいない。モデル校の東大付属でちょっと実験授業をやって自己満足している人ばかりだ。こういう人間たちが教育の世界でヘゲモニーを握り、失敗しても反省することなく、日本中の子供たちが、こういう教授たちの実験台をさせられ続けている。

共通一次は、その後続く、文部省、文部科学省のヘボ政策のさきがけになった。

そして、私は実験台の第一号になったことを再認識したのだ。