まだまだスピリチュアリズムについて誤解があるから、エンジン01で江原さんと会うのなら、話を聞いてみればいいというメッセージをいただいた。プライベートな話なので、書きたくないが、私も江原さんとは何度も話しているのだが、ご希望に添えないことがあって以来、何回かお顔合わせはするが、挨拶もなくなったし、口もきいてもらえなくなった。(こちらの妄想でなければいいが)私がスピリチュアリズムに疑念をもつのはそういう背景かもしれない。本日もお会いするが口を聞いていただけるかはわからない。あの世のことを考える人は別の思考法なのかもしれないが、一応、私のほうが年長者であることは確かだ。

昨日は、エンジン01で3つも教室をもたされて、すべて司会役をやった。

その中で、もっとも気合が入ったのが、飲酒運転の話をきっかけに、地方自治を考えるというものだった。

会津若松市長の菅家一郎さん、佐賀新聞社長の中尾清一郎さん、マーケッティング・コンサルタントの西川りゅうじんさん、そして犯罪社会学者の森川展男さんでパネルを作る。

何でもかんでも法律を作り、地方で作れる条例の範囲が狭すぎるという菅家さんのご意見はもっともだ。日本は国会議員が法律を作らず、官僚が作るから、緻密なものになる代わり、地方の裁量権がきわめて狭いものになる。

実際、飲酒運転だって、スピード違反だって、それがいけないということを法律で決めて、どこからが飲酒運転にするのか、どのくらいの罰則にするのかは条例レベルで決めていい話だ。

さて、中尾さんのメディアリテラシーの大切さの話はうならされた。

飲酒運転の厳罰化のきっかけになった福岡の事故を大きく東京のメディアが報じることには政治的な意味があった可能性があるとのことだ。タイミング的には、福岡と東京でオリンピックの代表争いをしていた。そこに福岡市の職員が飲酒運転で3人も殺した。これで福岡市はとどめを刺された。

また、この事件は橋の構造にも問題があった。この大報道をきっかけに全国の橋の補強工事が行われた。

統計数字より、大きく事件を取り上げると、それによって世論を作ることができる。飲酒運転が増えているわけでもなく取り締まりは強化される。それだけでなく、地方でオリンピックを開催するのを邪魔して、さらに土建業者に儲けさせる仕組みができる。

東京にキー局が集中している限りこの構造は治まらないだろう。

森川さんは他国の法律にも詳しい。イタリアではワイン1本までは飲酒運転にならないそうだ。昔は、2,3本までOKだったのが、厳しくなって1本になったそうだ。ことほどさように飲酒運転の取締りにはお国柄がある。

地方がどう立ち直るかには、いろいろな方法論があるだろう。人材を地方に残すにはどうすればいいかなどの問題もある。

ただ、東京のメディアの垂れ流すことのいいなりになっているのでは、地方分権がうまくいきそうにないのは確かなようだ。