またまた朝からメールを送っていたらPCが凍った。

私は、わけのわからない機能はいらない(ついていてもいい)が、メールを送る、インターネットを閲覧する、普通に文章が書けるくらいのことで凍るPCを売り出す、あるいはそんなソフトを作る神経はどうしても許せない。

最近になってずっと私が問題にし続けている、基礎学力のない子どもとまったく同じだからだ。

もちろん、精神発達遅滞の人のような例外の方には失礼だが、社会に出ている人で、まともな読み書きも計算もできないのに、何か芸ができるとか、いい大学を出ているからと威張っている奴と同じような気がして本当に許せない。

再起動しても、また5,6分凍って、別のXPマシーンを立ち上げたら、また動き出した。この不安定さはなんだ。

さて昨日のブログに対して、再びご意見をいただいた

「この文章を読む限りでは、親が金持ちの方が幸せ、独身で親と同居しながら自主映画を撮り続けている方が幸せと思われているように思えたからです。

でも私は、親が貧乏でも、家族で助け合いながら苦学し、東大に行き、医者になり、結婚して、妻と子供を持った人の方が、何倍も幸せだと思えたからです。もちろん、私は犬童一心さんが、若い頃から、どのような苦労をされてきたのか、全く分かりませんが、和田先生ははたして何処までご存知なのでしょうか?」

おっしゃる通りで私が一方的に犬童氏にひがんでいるだけで、彼の苦労はまったく知らない。

しかし、映画というものは、人間を狂わせるところがある。
(これで、何人も破産しているから、映画監督だけはやめろと、とある雑誌の編集長にも言われたことがある)

私も映画を撮るためには、なんでもするだろう。

嫌いなパチンコ屋にだって、頭も下げるし、パチンコ屋の批判もばたっとやめるかもしれない。

昔、私の知り合いのテレビのプロデューサーが、三枝成彰さんのことを「金のことしか言わない。あれでも音楽家か」と批判したのを聞いたことがある。私も三枝さんと知り合うまではそうなのかと思っていた。しかし、オペラを作り出してからは、音楽をやっていない日はスポンサー集めの毎日で借金まみれという実態を知った。

江原さんにしても、多少は面識があるが、私には思ったより俗っぽく見えたが、ホスピス建設で借金があるという。ひょっとしたら、出たくもないテレビに、そのために出ているのかもしれない。

私が変節したとか、魂を売ったとかいわれるとしたら、映画のためだろう。

麻薬中毒の患者のようなものであり、金がなくて撮れない時期ほど、私のような見習い監督でもつらい。

ただ、無理にわかっていただく必要もないのだが、人間は聖の部分と俗の部分があるということだろう。

外から見たら、守銭奴でも意外なピュアな面がある人もいる(というか、全部悪い人間はそういないだろう)

善人にも、実は汚い面もあるだろう。

でも、一ついえることは、私は「親が金持ちの方が幸せ、独身で親と同居しながら自主映画を撮り続けている方が幸せ」と思うような人間だということだ。

多くの人を失望させるかもしれないが、それが本音だし、苦労することそのものが価値でないと考えている。

世の中には苦労しないのに、いい映画を作れる人もいるだろうし、苦労しているのにそれができない人もいる。

もちろん、苦労を重ねていい映画を作る人もいる。

でも、私にとって大切なのは、苦労したかより「いい映画を作ったか」なのである。

そして、たとえば灘中に入っても(これはプロセスである)、三流大学に入れば(これが結果である)落ちこぼれといわれるように、医者になれても、有名人になれても(これはプロセスである)、いい映画が撮れなければ(これは結果である)、私の主観の中では落ちこぼれなのだ。

ときには、そういう本音を書かせてもらうことをご赦免いただきたい。


贅沢だと思う人もいれば、可哀相に思ってくれる人もいるだろう。

それもすべて主観だと私は考えている。