まだまだ忙しい日が続いて、書かなければいけない本の原稿がさっぱり進まない。

その上、今後はエンジンのお芝居(もうチケットは完売しているそうだが、私のパートはなるべく冗談と思って流してほしい)の稽古がみっちり入っていて、かなり大変だ。

さて、そんな中、ちょっとした取材を受けていて、ふと気づいたことがあった。

その取材のテーマでも、成績や能力より、人間性を重視したことが、子どもたちの間でスクールカーストを作るなど新たな問題を生んでいるという話をしたかったのだが、その話をしている中で、なぜ今の子どもたち、あるいは若者たちが今がすべてなのかということに漠然と感じていたことに私なりに納得のいく答えを出してみた。

つまり、学校で仲間はずれになること、会社でお一人様でいることに耐えられないのは、もちろん、愚痴を聞いてくれる親友がいないとか、勉強ができる仕事ができるより、人間性のほうが大切という価値観にもよるのだろうが、それだけでなく、未来に夢がもてていないことが大きいのではないかということだ。

未来に希望がもてれば、今がつらくても、今が友達がいなくても耐えられるかもしれない。われわれの世代が多少なりといじめなどに強かったのは、それもあるかもしれない。

もちろん、未来の希望というのは、大金持ちになるとか、政治家になるとか、映画監督になるとか大それたことでなくていい。

大人になったらカウンターに座って寿司が食べられるとか、ちょっとリッチなブランド品がもてるとかいうレベルでいいのではないだろうか?

バブルの前くらいから、ガツガツした人間が嫌われ、物質的な豊かさより、精神的な豊かさのほうが大事といわれだしたが、バブル崩壊後は、それを反省して、物質的な豊かさを求めることが害悪のようにさえいわれるようになった。

それ以降の若者たちは、豊かさを知らない(一部のITバブルに乗った人やヒルズ族などを除く)まま、大人になっている。寿司は回転寿司で満足、焼肉は牛角でOK、服もユニクロで十分というわけだ。

物質的な豊かさと精神的な豊かさというのは、どちらが偉くてどちらが下種というわけではないだろう。

両方あるに越したことはないし、物質的な豊かさばかりを求めるときには、精神的なことも大切ということは大事だろうが、精神的なことばかりいって、物質的な豊かさを人があまりに求めなくなったときには、つまり低レベルで満足が当たり前になったときには、多少は物質的な満足も幸せだよと教えてあげなければならないだろう。

もちろん、それが消費不況の処方箋でもあるのだが、物質的な豊かさを教えてあげないおかげで、しょうもない夢(車を買いたいとか、ブランド品を買いたいとか)ももてず、いわゆる草食系になるだけでなく、今の人間関係ばかり気にやむ人が少なくないのなら、多少の揺り戻しが必要だと痛感した。