例の結婚詐欺師のことでテレビからの取材依頼があった。

いつものように、この人のブログから精神分析をしてくれという話だ。

もちろん、もっともらしい話はできるだろう(「もっともらしい」だけで、確かなことは何もない。昔、サンデージャポンに出ていたときに、同じように容疑者の心理を問われて、もっともらしい話をしたら、飯島愛さんから、「なんで、そんなことがわかるのよ?」といわれたことがある。なんと返事をしたのか忘れたが、「確かにわかりませんよ」といった覚えはある。経済学の理論をうのみにするひとより飯島愛のほうがよほど学問的なセンスはある)。

こんなことをしても何にもならないと思ったので、それよりは、3人目4人目が死なないと疑いもかけられない(カレー事件も、トリカブト事件も、愛犬家殺人事件もみんなそうだった)現状の背景に解剖をしない実態があり、さらにその背景に病理医の不足の問題がある話をしたほうが、再発予防につながるのではないかと提言したが、「考えておきます、ところで容疑者の分析はしてくださるんですか?」という返事。結局、スケジュールも忙しかったので断ることになった。(断ったから、どこの局かわからないから、こんな話も書きやすいのだが)

東京のテレビ局は受けばかり狙って、事件の再発予防という発想がない。関西のテレビ局にはそれがある。『アンカー』でもこの話をしたいと提案したら、すんなり受け入れられた。東京の局の場合は、こういう事件を騒ぐだけ騒いで、まねしてやる奴が出てきたら、むしろまた視聴率のとれるネタができたと喜ぶのだろう。まさにマッチポンプであり、人命より、視聴率やお金儲けが優先である。

ヨーロッパのやせすぎモデルの追放の話のときも、東京のテレビ局はモデルクラブに取材して、「笑止千万」というコメントを流し続け、私の知る限り、医者にコメントを求めて、危険を訴えたところはなかったが、大阪のよみうりテレビは、私のところに取材にきて、拒食症が年に100人も若い女性の命を奪っているが、それには、やせているほど美しいという価値観が影響しているというコメントを採用してくれた。

さて、昨日の話の続きになるが、勉強がメンタルヘルスに悪いという話のほかに、勉強ばかりしていたり、東大に入ったりすると、奢った人間になるとか、創造性がなくなるという話もある。

私は、最近受験勉強というのは、パーティのドレスコードやテーブルマナーのようなものだと考えている。

どうしても行きたいパーティがあれば、不愉快でもドレスコードに従う。そこに行く以上は、ある程度テーブルマナーを身につけておかないといけない。

器用な人は簡単に身につけるだろうし、そうでない人はかなり苦労したり、いやになってあきらめるかもしれない。要領のいい人は、スープを飲むのが下手なら、スープを飲まないという手で対抗するだろう。

しかし、そういう一流のパーティに出席できたり、そこにあったドレスを着、テーブルマナーを身につけても、中身が変わるわけではないし、自分が上流になったわけではない。

私のような下賎な人間でも、それを身につけたら、入場を断られないだけのことで、会話の中身などが知的であったり、ウィットに富んだものでないと、そのパーティで人気を得たり、人脈を拡げたりはできない。

しかし、ドレスコードを知り、テーブルマナーを身につけただけで、自分は上流になったと思い、一般の人をさげすむ人はいる。

東大に入っただけで人をバカにするような人は、その類の人だろう。

もちろん、そのパーティに出ない人でも一流の人はいっぱいいる。

ドレスコードを知り、テーブルマナーを身につけたあとも、教養書などを読んで、場にそぐった会話や教養を身につけようと努力する人もいれば、ドレスコードとテーブルマナーで事足れりと思う人もいる。

ただ、ドレスコードを守り、きちんとテーブルマナーを身につけられない人は、そのパーティに参加したくでもできないのは事実だ。

たとえ、ドレスコードやテーブルマナーが欧米文化の押し付けだと思っても、やはり頑張って身につけるほうが、将来の人脈も広がる。しかし、本当に大切なのは中身だとそういう人はわかっているだろう。

もっと野心的な人は、自分が世の中のリーダーになって、ドレスコードやテーブルマナーを変えられるようになりたいと思うだろう。

資格試験にしても、入学試験にしても、入場の条件に過ぎないし、それ以上のものではない。でも、入場の条件を満たさないと、そこより先のことはわからない。別の場に入ることで活躍する道は確かにあるが、すくなくともその世界では活躍できない。

私は多くの東大生が、たかが受験勉強、されど受験勉強とわかっていると思っている。それが出来るから自分はすごいと思えるおめでたい、幸せな人のほうが少ないだろう。

だから、学者の学説も疑えるし、受験勉強でやった内容だって、根っこのところでは疑っている人は少なくない。

たまに頭の悪い東大生が、受験勉強ができただけで、自分は頭がいいと思い込み、習った内容はすべて正しいと思い込むから、世間から東大の人間は頭が悪い、頭が固いと思われるのだろう。

もう一つ厄介な問題は、東大を出ても社会にでて成功できないやつは、東大出をひけらかすしかなくなる。成功していたら、わざわざ東大出をひけらかす必要がない。だから、東大出と名乗るやつや自慢するやつが無能だというバイアスが世間に流布してしまう。

もちろん、私は受験産業をする手前、客の信用を得るために東大出を前面に出しているが、東大の教育や医学部の体質はひどいものだった(今のことは知らないが)ことは承知しているし、東大に入る人より、東大の大学のほうの批判者であるつもりだ。

ドレスコードやテーブルマナーを身につけて損をすることはそうないように、それを身につけることで鼻にかけたり、自分を勘違いすることがなければ、学歴を身につけることは損でないし、そこで得た知識やスキルも邪魔になるものではない。