とあるメッセージへの不快感と反駁から、

経済学や心理学に真理はない、ただ仮説であっても、試すことができれば一時的に信頼できるものにはできる。偉い学者のいうことより、このような形で検証された仮説のほうが意義がある。だから、相手を理屈でやりこめるより、仮説を検証するほうが私にとってははるかに説得力がある。ただし、経済学などの場合は、この仮説を検証するために、政治の力が必要になることが多いので、結局のところ仮説を証明したければ、政治家を説得するか、民意を動かすしかない。仮説が正しいかどうかはともかくとして、その証明の前段階で説得力が必要だが、竹中氏の仮説は、検証の結果、どうも正しくなさそうだが、それでも政治の力で検証の舞台に上がっただけ幸せで、私のほうは説得力が不十分なので、検証すらできない。よって理屈では、そのメッセージの主に反論したいこと(たとえば解雇を自由化したら、経営側の雇用負担が減るのでばんばん人を雇うようになるというのは、人を雇うことについて、人以外にも設備投資がいるし、これから人口減少社会になり、消費が減りつつある中で、経営者がみんなそんなに「合理的」に行動するとは思えないというような)はあるが、検証にいたる説得力がないという点では同レベルだし、メッセージの主も私をやりこめるより、それを検証できるように説得力をもってほしい

という趣旨のことを書いた。

社会科学や人文科学では、どちらの意見が正しいということはないが、どちらの意見がより多くの人を説得できるかとか、どちらの意見が影響力があるかということは確実にあると痛感しているし、私はその両者がないことを実は、むしろ情けなく思っている。というのは、私の知り合いであれば、林真理子先生や秋元康さんや勝間和代さんなどのほうが、はるかに説得力や影響力をもっているし、ひがみの上では、患者をどの程度診ているかよくわからないし、学術論文もろくに書いていないし、本名も明かさない香山リカさんのほうが、説得力があるし、影響力もあるのだろうということは素直に認めている。

ただ、こういう自嘲のつもりでいったころが、私よりもっと影響力や説得力のない(実は知的レベルなども高いだろうし、頭もいいのかもしれないが)ことで忸怩たる思いをしている読者の方には不快な思いをさせているのかもしれない。

とくに本人がうつ病やうつ気分であれば、自分はなんと影響力のない、価値のない人間だと思ってしまうのかもしれない。

私も、言いたいことを言っているつもりだし、不快なことは不快と書いているし、読んでむかつく人は読まなくていいというスタンスだが、唯一の問題として、私が精神科医であるということも影響しているのかもしれないが、うつなどの人も読んでいるということがある。普段なら傷つかない一言がうつのときは、とても傷ついてしまう。私はさんざん、日本の報道機関が自殺報道のガイドラインを守らないことを問題にしているが、それはすべての視聴者に影響を与えるわけではないが、うつの視聴者には、かなりの悪影響を与えることが明らかになっているからだ。

そういう点では、頑張れ、力をもてという勇ましい発言が多いのも、社会に対する怒りをこめるのも、詠む人によっては心を傷つけるのだろう。

なるべくそういうことがないように心がけるつもりだが、テレビと同じように、あるいはテレビ以上につまらないものになるのでは、ブログを書いている意味がない。

ということで、何人かの人の心を傷つける可能性を多少なりと自省しながら、自分なりの意見を書く(そういう自覚があるだけましと思ってもらえると嬉しいのだが)ことにしたい。

ただ、誤解がないように言っておきたいが、説得力というのは、政治家や人気者になりたい人にとっては、不特定多数の中でどれだけ多くの人を説得し、どれだけの影響力をもつかが重要だが、たとえば社内では直接の上司や社長への説得力が企画を通したり、出世できたりの上では重要な意味をもつ。

好きな人にコクるとか、プロポーズするとかいう場合も、いくらいろいろな女性にもてたり、説得力があってホテルまで連れて行けたとしても、その特定の女性に説得力があるかのほうが重要になる。

メッセージの主が私を説得するのは、あまりメリットもないし、不毛な気がするが、特定の人に対する説得力は重要だ。

自分では説得力がないように思っていても、それは相手が決めることだ。

奥さんに説得力をもって奥さんがわかってくれる人は、社会に影響力がある割に家庭がうまく言っていない人より幸せだろう。

また、メッセージの主のように説得力に自信満々でも、私にはまったく説得力があるように思えない人もいれば、インテリケアワーカーさんのように私にはうんとうならせてくれる人もいる(これは、もちろん<私には」という話で、メッセージの主の方も他の人には説得力をもちファンもおられるのだろう)。

気分がおちこんでいると自分の値打ち、とくに特定の人に対する自分の気持ちがわからなくなることも多い。わかってくれる人が少しでもいることの意味がわかってもらえると嬉しいのだが。