本日は、バタバタしていて、今の時間帯にブログを書いている。

ときどき、メッセージを下さる方がうつになった話を聞いて、無理をせずにまじめすぎないようにしていただいて、養生(この言葉は好きである)してほしい。

精神科医というのは因果な職業で、患者さんには通常、頑張りすぎるな、まじめすぎるなというようなことをいう。

しかし、教育論者としては、頑張れとかまじめにやれとかいう。

矛盾のように思うかもしれないが、うつになるような人は、頑張りすぎたり、まじめすぎたりすることが多い。そういう人には、もう少し楽にというしかない。でも、不真面目な奴に、もう少し楽にというとどこまで手を抜くか分からない。相手によっていうことを変えるのがカウンセリングの鉄則だ。

ただ、著書の形だと、どうしても、大勢に同じことを言うことになる。心を病んでいる人より、そうでない人のほうが多いし、知らないうちに、日本という国が頑張らない人や、まじめでない人の多い国になったので、著書を書くときは、がんばれ、まじめにいこうということが多くなる。それを考えると、テレビはもっと怖い。もっと大勢の人に同じことを言うことになるし、本くらい情報が多ければ、こういう場合には、○○、こういう場合には××と場合分けができるが、テレビは一律の意見しか言わせてもらえない。いろいろな人が見ているメディアなのに、いろいろな人に対応できないのが怖い。鬱の人や死にたい人も見ているのに、自殺報道をする怖さはここにある。

さて、南田洋子さんが亡くなったそうだ。

職業上、いろいろなことを聞かれる(とくに、このケースでは、患者さんやその家族から)のだが、テレビを見損なうことが多くて、正確には答えられない。

たとえば、入院して肝臓を治したら、ずいぶんしっかりしたという話はどういうことなのかと聞かれる。

確かに、高齢者の場合、肝臓がひどく悪ければ意識障害を起こしやすく、認知症でなくても、幻覚がみえたり、ぼけたようなことを言う。直してやれば、びっくりするほど改善して、ぼけが治ったと喜ばれることがある。でも、もともとぼけていたわけではないから、ぼけを治したわけではない。

鬱病や意識障害(とくにせん妄と呼ばれるもの)で認知症と間違えられることは多い。そういうのを適切に診断して、治療をするのが、我々高齢者専門の精神科医の仕事なのだが、そういう専門家が少ないのも気になる。

ただ、勘違いされやすいのは、鬱病や意識障害が認知症と別の病気だと思われることだ。鬱病やせん妄であれば認知症でないと思われてしまうことだ。ところが鬱病でぼけたようになるというのも、もともとが認知症があった人のほうが多いし、せん妄も実は、認知症がある人のほうが起こりやすい。

実は初期から中期にかけての認知症は、外から見るとそんなにぼけたように見えない。記憶力は悪いが理解力や日常生活能力が比較的保たれる。

南田さんの場合も、認知症が進行するのが速すぎる印象だったが、肝障害のためにアンモニアなどがたまって脳の働きを悪くしていたのかもしれない。お酒を飲んだのを忘れて、大量に飲酒をしていたのかもしれない。

認知症そのものは治せないが、合併する鬱病やせん妄は治せることが多い。すると、ぼけが治ったと思われるほど症状は劇的に改善する。

ついでにいうと、昔はアルツハイマーになると6,7年で亡くなるなどと習ったが、病気さえしなければかなり長生きできる。だから、今回のくも膜下出血のような合併症が怖い。

アルツハイマーの人ももちろん人間だし、とくに軽いうちは、普通のおじいちゃんやおばあちゃんに見える。

ぼけているから検査はいらないというのは、ナチの発想と同じだ。MRIをとるときに、ついでに血管モードでも撮っておけば動脈瘤も見つけられただろう。開頭手術は無理でも、アンギオでコイルを入れるなどくも膜下出血の予防はできる。

実は認知症の人が肺炎になったり、がんになったりするとぼけ症状が急に進むことが多い。

ぼけが進んだで片付けず、認知症の人にでも、きちんと体の検査をするという知識が世間で共有されると嬉しいのだが。


さて、