昨日のブログに対して、言い過ぎというメッセージをいただいた。何度も言っているが、可能性を検討するために私はブログを書いている。私の言うことが本当ということではなく、そういう可能性も検討しないと思考の範囲が狭くなる。そういうこともあって、あえて最悪の可能性も書くことにしている。私は信者を増やしたいわけではない。ほかの人の意見と比較検討しながら、自分の考えをもってほしいというのが私の本心だ。だから、不愉快だが、批判のブログも紹介したりしている。

ところで、最近、学術書の翻訳をやっていて、今は校正の段階なのだが、私としたことが力が入りすぎて、かなり進みが遅れている。

家にいるときは、昼寝と夕寝をフル稼働して、1日12,3時間は作業に取り組んでいるだろう。

英語力はそれほど落ちていると思えないが、日本語力が弱い。いい訳語が見つからない。とくに今回は哲学の話が入っているから、基礎素養がゼロで、哲学書を何冊か買い込んで、英語版も買ってことばを比べたりしている。

ただ、翻訳の作業というのは、決してプロダクティブなものではないし、オリジナリティも要らないのだが(昔は、有名な人の翻訳をしただけで教授になったりしたようだが)、知識の整理にはなる。ネットの時代だと、調べられる範囲も広がる。

多少は哲学にも詳しくなれたし、最新の精神分析の理論もリニューアルすることができた。

あと、1,2日で片付けないといけないが、とにかく頑張るしかない。

さて、今年の前半は新刊ラッシュで、中でも、『人生の軌道修正』『富裕層が日本をダメにした!』『エビデンス主義』は相当に力を入れて出した本だし、自信作だったが、出しすぎと思われたのか、予想したほどは売れなかった(それでも、重版のかかった本もあるし、まだまだ見直されるときがくると信じている)。

先月末に出した『「反貧困」の勉強法』(講談社+α新書)も、私としては、相当な自信作であると同時に多くの人に読んでほしい本だ。

内容的には、前半は、現在の格差社会の実態と競争社会なのに競争力を失っている若い層の学力低下の問題を具体的に数字を出して説明している。

何度もいうが、私は世の中のほうに変わってほしい論者だが、世の中が変わらないのであれば、それに適応しないと不幸になってしまうから、個人レベルでは、革命よりは適応を進める。第一、勉強しないと、マスコミに騙されて、世の中を変えることもできない。

私は、今の若い人たちが、世の中の実態をあまりに教わっていないという確信をもっている。

昔、金沢工業大学(当時は偏差値30代で、平成不況の中、正社員合格率99.7%で話題になっていた)に取材に行った際に、学生たちになぜ勉強する気になったのかを聞いたところ、口をそろえて、今の格差の現状、フリーターの将来などを教える講義のおかげだという話になった。

逆にいうと、それをこれまで教えてもらえていなかったということになる。彼らは高校まで、それを教えてもらえなかったので、偏差値30代の大学に入るわけだが、それを教えてもらって99.7%の正社員就職率だから、もっと高い偏差値の大学に入るより結果的によかったのかもしれない。

格差社会を作っておいて、競争の現実を教えないのは、えさのとり方を教えずにジャングルに放つようなものだ。どちらが可哀相か考えてみたらいい。

実際、最近、生徒に発破をかけるためにと講演を頼まれた学校があるが、スライドの内容が過激すぎるとカットされてしまった。親の抗議が怖いからだそうだ。

でも、私は教えないほうがよほど教育者として無責任だと思う。親を怖がりすぎていることが今の教育の病理だろう。私立でもこれだから、公立の実情を想像すると身の毛もよだつ。

ということで、これを前半できちんと説明した。

中盤には、受験勉強にまつわる世間の誤解を解くとともに、受験勉強で身につけるべきは、数学力とか英語力のような科目学力、コンテンツとしての学力ではなく、記憶力や推論能力、メタ認知能力、情報収集能力、計画作成能力のようなノウハウとしての学力だということを書いた。副題に、「受験勉強は人生の基礎学力」と書いたのはそのためだ。学歴社会から学力社会にかわっていちばん割を食うのは、付属校あがりやAO組など、学力が担保されていない高学歴、高偏差値大学卒業生だということも明示した。

最後に、では実際どうすれば、受験に受かりやすいかという和田式勉強法のエッセンスをまとめておいた。

実は、ほとんどの内容をこれまでの本の中で触れてきたことなのだが、コンパクトに言いたいことがまとまっているので、非常にお買い得な本だと思うが、私の本をたくさん読んでいる人には多少不満かもしれない。ただ、復習も大事という見地からは、そのために880円くらいの金を使っても損はしないと信じている。

実は、地方の人にこそ、この本を読んでほしい。

東京で売れた本しか、地方の本屋においてもらえない現状が、地方と東京の情報格差の元凶だと私は信じているが、それは負け犬の遠吠えなのだろうか?