昨日、とある雑誌の対談で、心療内科医の海原純子さんと対談した。

私も含めてどうしてもマスコミに顔を出す医者というのは、誤解を受けやすく、出たがりで学問レベル、臨床レベルが低いのだろうと思われがちだが、きわめて妥当な発言が多く考えさせられることが多かった。

今は、診療所ではできることや助けられる患者に限界があるので、教育の仕事をしているそうだが、肝心の医学部でコミュニケーションやネットワークの講義を受けるキャパシティがなくてご苦労されているとのこと。医学部の古い体質を変えないと、チーム医療も心のケアも大学で学ぶことはできない。私は医学部の定員増より、メディカルスクールを新設せよというのは、そのためだ。

そこで問題になったのは、とくに心の治療の個別性の問題だ。うつ病だといえば、話も聞かずに全員に同じ薬を出すというのではなく、相手の話をよく聞いて、その背景に応じた、本人の主観的体験や情動状態に応じた対応をしろというのは、私の師匠であるロバート・ストロロウの教えでもあるが、それがないがしろにされすぎているから、日本中の精神科の教授の9割が薬などの研究をする生物学的精神医学の研究者であるし、精神療法の教授は主任教授にはいない。このため、内科や外科に進む一般の医学生も心のケアについては薬での治療しか学べないし、カウンセリングの基本も知ることができない。入学試験で面接をやるより、そういう授業を大学医学部でやるほうがよほど実効的だろう。あるいは、基礎系の研究者になる可能性があるのだから、医学部の入試面接を課して人間性云々をいうより、医師国家試験で、コミュニケーションスキルのテストを入れたほうが、医学教育も変わるだろう。心のケアなどいらないと思っている教授に面接されて医学部に入れるかどうかが決まるほうがよほどいびつである。

話がそれたが、私がこの話を持ち出したのは、私自身、いっぽうでは、「あきらめるな」「がんばれ」と受験生を励まし、一般の大人にももっとチャレンジしろと言いながら、実際の臨床では、運命を受け入れることも大切とか、競争以外の幸せも探してみたらみたいなことを言うことが多いからだ。

うつ病や心の弱っている人に対するのと、一般の人に対する物言いが違うのは当たり前だし、同じ人に対しても、心が弱っているときと、気分がやる気のときに、相手のかける言葉が違うのは当たり前だ。想定読者が違えば言うことが違うのが当たり前なのに、矛盾していると批判するほうが、マニュアル人間といわれても仕方がない。

で、自分が臨時職員だとか、短大中退だからバカにされているという人に私が与えられるメッセージ。

どんな人でもバカにされる。私だって、前に紹介したブログのように、はっきりとバカと書かれている。たぶん、ネット上を探せば、このメッセージの主よりバカといわれている回数ははるかに多いはずだ。アインシュタインだって、ニュートン力学が間違っているといったときには、多くの物理学者からバカといわれたはずだし、頭のおかしい人間からみるとすごい天才はバカに見えるかもしれない。1+1が3と信じている人間からみると、2と信じている人はバカだろう。客観的なバカはいない。損な生き方をするとか、マジョリティからみてバカといわれる人はいるかもしれないが、マジョリティが賢いとは限らない。

それより大切なのはわかってくれる人を探すことだろう。1+1が2でないことを証明するために努力する人がいた際に、「お前のいうことはよくわからないけど、常識にとらわれていないことは確かだ。もしそれが証明できたら世界的な数学者だし、おれも嬉しいよ」といってくれる人がいたら、孤独な戦いをするより、はるかに勇気がわくだろうし、バカという人にも我慢ができるだろう。

ただ、確かに学歴は世間にバカといわれないための便利な道具であることは確かだ。私のように、自分が天才と思えない自信がない人は学歴を求めるといい。天才には学歴などいらない。でも、天才でない人が、少しでも賢く見られたければ(たとえば、ルックスのいい人は賢く見られなくても平気かもしれない。私のように体育も音楽もできず、ルックスが悪いから賢く見られたかっただけだ)、学歴を求めるというのは一つの手段である。もちろん、それ以外のとりえを磨くのも方法だ。私をブログでボロクソに書く人のように、自信があれば学歴のある人をバカと言い切り、自分がいかにも賢いと思える。人間は主観の生き物だから、彼の幸せさ加減に(私はそこまで自信がもてないので)嫉妬さえ覚えるが、それでも匿名なのは本音のところで自信がないのかもしれない。

人の心などわからない。自分のことを馬鹿にしていると思っている人が、逆にコンプレックスをもっているかもしれない。あるいは、正社員が臨時職員をバカにするのも、自己愛が満たされていないから、人のことをバカにしないとやってらえないからかもしれない。つまり、その人も上司や正社員の仲間にバカにされているから、自分より下に見える人を馬鹿にしているのかもしれない。

繰り返し言うが、誰にもバカにされないことなど不可能だ。一人でも支えてくれる人を探すか、自分に自信のもてるものを探すほうがはるかに建設的だ。

ところで、私をボロクソに書いたブログで気になることが一つ(私はこのブログの著者のように、非難する相手について、その理論がすべて間違っているという発想ができない。妥当と思えるところもあれば、これは反論できると思うところもあると思うだけだ)。今、派遣を廃止したら、逆に失業が増えるという指摘は正しいかもしれない。ベーシックインカムのようなものを用意しないと、かえって景気を悪くするかもしれない。ベーシックインカムでも問題になるのは、働いていないのにお金をもらう本人がバカにされているという不安を感じたり、周囲の人間がそれに嫌がらせをしたり、批判したりすることだろう。しかし、実際は生産より消費のほうが経済を支えるし、働いていない人がお金をもらうことに遠慮して消費をしないなら逆効果だ。

制度を変えるより価値観を変えるほうが、はるかに難しいのは確かだ。