昨日書いたはずのブログが下書きフォルダーに残っていたので、本日は二つ来たというのは、実はこちらが昨日のものと理解してほしい。

相変わらず、氏名も公表しない人が私の批判を続けているという親切なメッセージをいただいた(是非読んでくださいという方だから、親切ではなくそのブログの内容がすばらしいと思っているのかもしれないが)

何度も言うが、経済に正解はない。JRが民営化で成功したと信じる人は多いようだが、田舎の人にすれば、とくに高齢者などは、確実に足を奪われている。都会の人の納めた税金が田舎の赤字路線に使われるのは不愉快かもしれないが、都会に人材が集中する現状を考えたら、そのくらいのアファーマティブ・アクションだってあっていい。どちらが正しいかは、哲学や価値観の問題であって、人をバカ呼ばわりする材料にする精神構造は問題があると思う。規制が厳しかった頃は居酒屋が高かったなどというが、逆にそのころは一般の賃金も高かった。高賃金で、高くても買う、高くても飲み食いする社会(スイスなどがそうだ。サンドイッチが1000円近くするのが当たり前だそうだが、賃金も高いので、国境近くの人でも半額で食べられるドイツに行かない)のほうが、低賃金で安いところしかいかない→そのためにさらに従業員の給料を低賃金にするという悪循環に陥っているよりよほどましだと私は思うが、これも正解はない。

国際競争力がまやかしで、どこの国でも内需のほうがはるかに経済を支えているのに、そのわなにはまって国民の賃金を下げることで、内需がよけいに落ち込むメカニズムを解いたクルーグマンは慧眼だが、彼にノーベル経済学賞を与えた審査員も立派なもんだ(実はノーベル財団公認のものでないので、本当はノーベル経済学賞ではないらしいが)

物が安くなればいい、国際競争力があればいいという思い込みにとらわれている人の批判は、読む必要を感じないし、人をバカ呼ばわりしたり、既得権で安楽な生活をしていると根拠もなしに論じる文章は読んでいて不愉快なので、「ぜひこのブログを読んでください」というメッセージはもう送ってきてほしくない。

もちろん、この手の論争そのものは避ける気はない。要するに、バカ呼ばわりするような感情的なブログを読むことが、自分も感情的になるために、たとえばこのブログで、文章の論理が破綻するのを避けたいと思っているだけだ。

あと、法律は「適応」するものでなく、「適用」するものだというご指摘。まったく正しい。ただ、さすがに適応というのはタイプミスで、もう少し専門用語ならこちらの間違いを指摘されると、これから気をつけようとか、勉強になったと思うし、そういうメッセージはありがたいが、校正者もいないし、時間もない中で(そんな奴はブログを書く資格がないといわれればそれまでだが)、この程度のタイプミスは許してほしい(子どもの教育を語る以上、誤字脱字は許されないのもわかるが)。

さて、法律の話だが、昨日は尊敬する弁護士さんと食事をする機会を得た。

最近の医療ミス裁判について。

欧米では刑事罰を課すことはないが、日本では医療ミスで刑事罰を課されたり、逮捕されたりするから産婦人科を中心に医療崩壊が起こった。ところが、マスコミが同情的な報道をすることや現実に医療崩壊が起こっていることで、裁判で無罪になるにあたって「医療ミスはなかった」という判決がでるために、今度は民事責任が追求できなくなっているという話をしたところ、

「重過失と軽過失という判断にわける立法ができないのか」

という意見を頂戴した。

結果的に人が死んだかどうかで過失が重度か軽度かを判断するのでなく、過失の故意性で重過失か軽過失かを決めるというものだ。

医者がヘボなことはあっても、たとえばメスを体に置き忘れるような単純なミスでも、まず故意のことはない。故意の過失というのは、たとえば積極的安楽死にするとかそういうレベルの話だろう。

仕事がヘボな医者は刑事罰の対象にするというのも一つの考え方だが、欧米では医療ミスで刑事罰を受けることはまずない。もう一つは結果オーライなところがあるから、結果が悪かったからといってヘボとは限らないという問題もある。

しかし、ヘボが失敗して、患者に損害を与えたのなら民事上の責任は当然残る。

刑事の裁判官も、さすがに刑事罰を与えるのはしのびないとか、あるいは刑事罰を与えると、さらに医療崩壊が進むという現実的な判断をすることが多いだろう。無罪にするためには、「過失はなかった」ことにしないといけない。

すると、今度は民事で損害賠償ができなくなる(弁護士さんの話では、別のこととして扱うのが本来なのだが、現実には難しいでしょうねということだった)

そこで、法律で重過失でないと医師は刑事罰を受けないが、軽過失では民事上の責任が残るというようにすればどうかということだった。

過失や過失致死という形の罪状のままでは、判例で「過失はあるが、罪はない」とはできないので、やはり立法しないといけないそうだ。

これは、妥当な意見だと思う。

逆に軽過失という概念があれば、民事で訴えやすくなるかもしれないし、患者さんサイドも得るものが大きい(もちろん、証拠隠滅などは刑事で訴えられるようにしないと、民事で逆に訴えにくくなるのはいうまでもない)

やはり現場を知る人間の意見を聞く機会をもつのは大切だと痛感した。