新しい法務大臣になった千葉景子氏が死刑廃止議連に入っていることが注目されている。

私自身は死刑は廃止すべきでないと考えているが、それ以上にこの死刑廃止議連の会長が例の亀井静香氏であることに胡散臭さを感じる。

氏は、もちろん人が人を殺すのはよくないという論者でもあるわけだが、いっぽうで冤罪はなくならないという考え方も死刑廃止論の大きな理由のようだ。

もちろん、冤罪を完全になくすことはできないが、冤罪を減らす努力はできる。何度も問題にしているが、500GBのハードディスクが1万円もしないで変える時代なのだから、取調べの前面可視化など、ろくに金はかからない。

もう一つの問題は、日本ではいまだに代用刑事施設が使われているということがある。

本来は、容疑者というのは、警察官や検事も弁護人も尋ねていって取調べや接見のできる刑事施設で勾留することが刑事訴訟法で決まっているのに、刑事収容施設法で、都道府県警察に設置する留置施設を刑事施設の変わりに用いることができると決まっているため、実際には、「できる」だけなのに、ほとんどのケースで警察の内部で取調べが行われている。自白の強要はし放題だし、証拠隠滅のおそれのない痴漢冤罪事件のようなケースでも、裁判所がいくらでも勾留延長をしてしまうので、冤罪の温床になっている。

もちろん、国連の人権委員会でも代用監獄の廃止を勧告している。国連主義と民主党がいうのなら、これもなんとかしてほしい。

ついでにいえば、痴漢冤罪のような事件で、仮に無罪になっても、警察そのほかがやったえげつない自白強要や証拠もないのに、立件しても、損害賠償で負けたケースはない。何十日も罪のない人間を勾留しても、それに対する賠償責任が実質なければ、痴漢冤罪のケースでも、何ヶ月でも留め置けると脅せば、大概、示談にしようとするか、自白して、起訴猶予にしてもらうとかを考えるだろう。その上、自白をしなかったケースでは、証拠もないのに起訴され、裁判所もそれを有罪にするどころか、自白をしなかったことが反省がないと認定して、初犯でも実刑判決を出す。レイプでも初犯で反省しているとかいえば、執行猶予がつく国だから、自白の有無のほうが、レイプか痴漢かより重要という、裁判所ぐるみ、国ぐるみの自白強要国家なのだ。

私は、本当に人を殺した人間を死刑にするより、無実の人間を仮に痴漢冤罪程度の軽微な罪で冤罪にして、その人の社会的生命を奪うほうがはるかに国家による犯罪だと思うが、亀井氏は、代用監獄制度の支持者だ。

要するに警察の利権を守るためには、どうしても冤罪が出てしまうから死刑は可哀想ということなのだろう。こんなやつが連立内閣にいて、死刑廃止の(実は、これも国連の委員会から勧告されているのだが)代わりに代用刑事施設の存続というのが、弁護士出身の法務大臣でも変わらないとしたら、衆参合わせてたった8議席の政党への遠慮か、日本がよほどの警察国家なのかどちらかということだろう。

死刑廃止が警察利権のためだとすると、人殺しは喜ぶし、無辜の市民の恐怖は変わらない。

ところで、BBCと読売新聞の共同世論調査では格差を感じるという日本人が72%とのことだった。もっともなデータと思っていたが、フランスはもっと多くて、84%、ところがもっと格差がひどいアメリカは53%、中国にいたっては49%だった。

格差を感じられるだけ、日本人はまだましなのかもしれないとちょっとほっとするデータだった。フランスも日本ももとが格差があまりなかったから、今がひどいと感じられるということだろう。

ただ、それを放っておいていいわけはない。

実は、昨日、妻の実家の墓参りに水戸に行っていたのだが(予想通り道はひどい混み方だった)、帰りの車の中で、妻が同窓会の話をする。妻の中学の学年で、すでに自殺が4-5件あるという。一人は病気を苦にしてのことらしいが、残りは借金がらみという。

地方だといったん借金をしたら返せなくなるのが現状だそうだ。数百万円の金で、死に追い詰められる(もちろん、うつという側面もあるのだろうが、みんな医者にはいっていなかったようだ)。そういう人が学年の1%もいるという話を聴いて戦慄を覚えた。

やはり、こんな不幸せな格差社会はなんとかすべきだ。人殺しは死刑にされないで、3食も医療も保証されて、死刑囚は逆に懲役もない。

しかし、善良な市民は痴漢冤罪でも何十日も代用監獄に勾留され、借金程度で死を選ぶ人は死刑囚の数百倍いる。

これがいい国と言えるのか?

学歴社会は批判が多かったが、金と学歴をくっつけなかったし、子どもが学歴を得られなかったら世襲も難しかった。

学歴社会を批判することで、結局拝金論がはびこり、世襲ははるかに容易になった。学歴社会時代に学歴を得られないことで将来を悲観することはときにあったのは事実だが(それでも数百人もいかないオーダーだろう)学歴がないことを苦にする自殺は少なかった。しかし、拝金社会では、経済敗者の自殺は年間万単位である。アメリカのように金とくっついた学歴社会は二重の意味でひどいが(ただし、民をだます能力にもたけているので、前述のように民衆の不満も小さいし、それにまつわる自殺も日本ほど多くない)、かつての日本のように、高卒と大卒の生涯賃金がほとんど差がない代わりに高学歴者は尊敬を得られるという学歴社会は、私にはましな格差社会に映るが、これは私がいわゆる高学歴者だからだろうか?

理想的な共産主義とされる国でも、地位その他の格差は残る。何をもってよりましな格差といえるのか、どのような格差なら受け入れられるのか?(金もダメ、学歴もダメなら人気があるほどいいという美男美女の天国になるのか?――これは、スクールカーストと同じ構図である)

これまでは、自民党のせいにできたが、政権政党が民主党になった際に、日本人は、今後のあるべき社会像をもう少し考えなければならなくなるだろうし、民主党だって、マニフェスト以外に、それをどう考えているのか、教えてほしいものだ。