何回か触れていることだが、私はこのブログで書いていることを含めて、自分の書き物は、自分に正直であるとは思うし、最大限統計数字など根拠を求めるように心がけているが、正しいと思って書いているわけではない。(下記に正しいとか、いいとかいうことばが出てくるが、これは客観的にということではなく、私から見て正しい、私からみていいということである)

ただ、私の基本的な信念として、世の中に真理などというものはない(あるとすればハイデッガーの言うように人は皆死ぬことくらいだろう)ので、情報はなるべく多いほうがいいし、人間ができる精一杯のことといえば、なるべく多くの情報や意見から、その場でいちばん自分に得だとか、自分にあてはまるとかなどという形で自分の意見を形成したり、判断をしたほうがいいだろうということだ。だから、なるべく世間で言われていないような情報を伝えようと心がけているし、賛成はしてもらえなくても、情報の一つとして取り入れてもらったり、考えるヒントにしてほしいと思っている。

頼まれてもいないのに事件や政治にコメントをするのも、そのためだし、逆にマスコミに頼まれた仕事は制約が多いし、カットも編集もされるし、本当の意味で私発の情報とはいえないところがあるからだ。

法律や政策についても、誰にでもいいものはまずありえないだろう。ある法律ができたり、政策が実行されると、得をする人間も出るし、損をする人間も出る。現代社会の原則でいくと、なるべく多くの人が得をし(これは将来の経済発展というものも含むことになっている、そうでないと金持ち優遇税制などは得をする人ははるかに少ない。ただ、私は20世紀の歴史をみる限り、一過性のバブルはあっても格差が拡大して経済が発展した国はないし、逆に格差の少ない社会ほど経済が発展しているのは統計上は事実だと考えている)、その代わりに弱者の人権、とくに生存権は守るということだろう。飢え死にや、障害者の放置があるような国は、少なくとも先進国とはいえない。その点で、アメリカは失格だし、日本も失格に仲間入りした。

ということで、障害者自立支援法が廃止は私も賛成である。誰が損をするのかはしらないが、障害者に犠牲を強いるのはやはり許されることではない。誤解してほしくないが、私は民主党に要望を言っているだけで、民主党がとくに嫌いなわけではない(社民党と国民新党はクズ政党と思っているが)。民主党もなるべくいいこと(これもあくまでも私からみてだが)を続けてほしい。

あと、私が学歴信仰支持者だから、インテリ=高学歴者とみているかどうかについて。

私は学歴信仰支持者だが、学歴信仰者ではない。

苅谷剛彦先生がいみじくも論じていたが、(少なくとも収入面では)日本は学歴社会ではなかったが、一般の人が学歴社会と信じることで、受験競争は維持され、結果的に国民の高学力につながったという考察は正しいだろう。

要するに学歴信仰があったほうが、一般的に国民の勉強のモチベーションが上がるし、少なくとも平均学力があがる。

しかし、それと私が学歴信仰がどうかは別の話だ。幸か不幸か東大の理Ⅲに現役で受かったので、学歴コンプレックスをもつ必要がないし、また周囲にアホも結構いたので、あるいはうよその大学に通っている賢い奴も結構みてきたので、そんなに学歴をあてにしていない。ただ、今のように名前を書けば入れる大学が増えてきた時代だと、ある程度は学歴がないと、まったく基礎的知識や論理力に欠けているので、そういう人から賢い人(天才的な芸術肌の人などは出るだろうが)が生まれるとは思えない、

私が学歴や金や出世を求める生き方を勧めながら、累進課税や相続税の増税で格差の少ない(ゼロにするのもよくないという立場だ)というのも矛盾があるように思われるだろう。

一つには金より名誉をインセンティブにしたほうがいいという考えがあるからで、学歴のある人間は金持ちになれない代わりに尊敬されるという昔の日本のあり方が、次の代での逆転も可能になるし、拝金論を廃することになると考えている。この点でも、私は学歴信仰を支持する。

もう一つは、いくら民主党が政権をとっても、累進課税の復活や相続税の増税の話になっていない。政治が変わらないのなら、大人しくしていると、結局食い物にされるのは弱者だということもある。

ただ、残念ながら競争というものは、必ず弱者や敗者が生まれるし、通常はそのほうがずっと多い。だから、弱者や敗者に向けてあきらめろというような物言いをする森永卓郎氏や香山リカ氏のほうが大衆に支持され、私のようなものはネット上でボロクソに書かれる。(かつては創価学会員、今は東大除籍という嘘まで書かれる)

もちろん、私だって精神科医だから、あきらめること、がんばりすぎないことを、自分の患者さんに勧めることがある。むしろ、そういうことは多い。それは病気になってしまった人に対してだからだ。でも、病気になる前の人に、最初からあきらめろというのが親切だとは思えない。昔は結果的に負けた人は、子どもに夢を託したが、今はそれもお金がないと許されない。

ネットで批判をする人は、論理が破綻している人もいるが、それなりに頭のいい人もいる。別のことに頭を使えば、せめて医者くらいにはなれるのにと思うと、大きなお世話かもしれないが残念でならない。

ただ、一ついえることは、あきらめた時点で、少なくとも今闘っている土俵では、勝負が終わってしまう。まけたふりをして捲土重来を願うとかは、そんなに悪いことなのか?

40歳や50歳の独身女性だって、ちょっと歳をとっているかもしれないが、金持ちのやもめの人に求婚されるかもしれない。

私の勉強法で成績が伸びなければ、私を恨むより、ほかのやり方を試したほうが建設的だろう。

あきらめろというのは簡単だし、そのほうが受けはいいだろうし、実際にそういわなければいけない人もいる。でも、それ以外の人には、少なくとも、人ががんばらなくなった今は、がんばれといい続けたいし、できる範囲のベストを尽くしてほしいと願うのは、正しいかどうかわからないが、私の正直な気持ちなのだ。