カープファンの方から球団の改革と松田オーナーの辞任を求める署名を集めているというメッセージをいただいた。趣旨にはもちろん賛同する。内容も妥当なものだ。あとは、私の読者にどれだけカープファンがいるかだが、一応ネット署名のアドレス。

http://www.shomei.tv/project-1246.html

あと

貴方は自らの著書やブログで
「首相は東大卒の人間がなるべきだ。」
等の事を述べていました。
さて…東大卒の鳩山氏が首相になります。
東大卒は優秀なんでしょう?
間違った政策はしないんですよね?これで満足ですか?
(はしょって反論すると不快と思い、あえて全文掲載させていただいた)

などという書き方でメッセージをいただいた。こういうものの言い方をする方は、とても優秀と思えない。人に面と向かって言えるのだろうか?
おそらくこういうものの言い方を上司にしているようなら東大を出ていても出世できないだろう。いわゆるEQの低い人の典型的な文章だ。

精神障害者と称する方(対人関係でずいぶん苦労されたようだ)からもときどき、メッセージをいただくが、はるかに対人関係能力が優れているのだろうと思われるような文章を書かれる。恋人ができるのも当然だ。私が紹介したメッセージの主に恋人がいるとしても、ボーダーラインの人のように対人関係は長続きしないだろう。

私が学歴至上論者と思われているきらいがあるので、あえて見解を述べておこう。

もちろん、東大を出ていなくても、優秀な人はいくらでもいる。大学に入って努力した他大学卒の人のほうが東大に入ってからろくに勉強していない人より優秀なことが多いのは当たり前だ。一生勉強を続けているお医者さんからもメッセージをときどきいただくが、その人など、普通の東大卒よりはるかに優秀だろう。だから、不当な就職差別なども問題はあると思う。

ただ、私は普通に優秀な人と、本当に優秀な人は確かにいると思う。もちろん、私は仮に優秀であったとしても、せいぜい前者だ。アホなりに、受験テクニックを駆使して東大に入ったというのが真相だと自認しているし、だからアホでもテクニックで東大に入れる方法論を訴え続けてきた。本書の冒頭で述べたように、人のことがバカと思うことはあるが、自分が本当に優秀な人間などとは思ったことはない。

国を代表するというのなら、「本当に優秀な人間」になってほしいというのは、率直な気持ちだ。

貧乏で大学に行けない人間がゴロゴロいた時代や、大学より高校入試に重きをおく、旧制高校のために東大と京大に差がなかった時代とは、違って、今は「本当に優秀な人間」ならまず東大に入る。それは東大が年に3000人も合格するマンモス大学だからだ。ど田舎で、中学受験も、塾も、勉強テクニックを書いた本も知らないのに、たまたま模試を受けたらトップクラスだったので、そのまま東大に入ってしまったなどという人間が毎年数十人(3000人中の数十人くらいだろう)はいる。

私をふくめて、普通に優秀な人間は、テクニックを駆使するなり、子供のころから塾に行くなりして、水ぶくれで東大に入る。それでも、努力の経験のない付属校あがりやAO入試組の人よりは、「普通に」優秀だと思っているし、資格試験や普通に仕事をするポテンシャルは高いと思っている。これなら誰でも目指せるとも思っている。しかし、草野球の名選手を、WBCに出したら日本の恥になるように、このレベルでは日本の代表というのはおこがましい。せいぜい地方の首長でもやっていたらいい。私も、このレベルと思っているので、国政選挙に出る(もちろん、国政選挙に勝ってもこの歳から国の代表になれるとは思っていないが)なんてタマではないこともよくわかっているし、それが昔誘われたときに断った大きな理由のひとつだ。

要するに、東大卒がみんな優秀なわけはないし、ピンからキリまでいるのは確実な話だ。東大を出ていたら間違った政策をしないのなら、東大卒はみんな満点で受かっていることになる。東大卒で、「本当に優秀な」レベルでも、2割は間違うだろう。東大の合格最高点は毎年8割程度だ。

問題は、最近は、本当に優秀な人が政治家を目指さなくなったことだ。若いうちから外国の大学にいってしまう伊藤 穰一さんのような人もいる(この人は私がここしばらくで会った人のなかでいちばん賢い)。東大を出ても、本当に優秀な人が外資にいってしまうということも続いた。いっぽう、政治家のほうは、普通に優秀というレベルも疑わしい東大卒が多い。何年もかかってやっと司法試験に受かったようなやつが、東大を出て派閥のトップをきどっていたりもする。昔であれば、佐藤栄作にしても、岸信介にしても、東大卒の中で伝説的な秀才が政治家になっていたのに。(成績優秀という点では鳩山民主党代表の弟のほうは模試で全国トップを続けたり、首席卒業という話もあるが、これが政治的センスのよさとは一致しないのかもしれないが)

鳩山氏が「普通に優秀な」人であっても、「本当に優秀な」人かどうかは私もわからない。

むしろ、期待したいのは彼が理系出身(おそらく戦後では初めてではないか)の首相になりそうだということだ。

数学ができない政治家たちは、あまりに数字の根拠のない議論をする。確率を考えないから北朝鮮問題がもっとも政治の優先課題になったりする。以前、アジア最悪の学力や各種調査で学力低下が明らかになったことに対する対応として、教育再生会議などというものができたが、教育を論じる人間がみんな数字に弱いので、たった一件のいじめ自殺が起こると、学力再生をそっちのけで、いじめ対策会議になってしまったことがあるが、文系の人間が牛耳るマスコミを含めて、もう少し、数字やエビデンスに基づいた判断ができるのではないかということを期待したい。

日本が異様な理系冷遇社会だったが、結局、日本に富をもたらしたのは、理系の人間だった。ところが、理系の人間が開発した商品で儲けても、文系の人間が社長になり(だから、理系の社長を起用した任天堂はえらいと思うし、実際、大成功を収めている)、文系の人間が政治を牛耳り、富は文系の人間に集中した。日本が金融工学やバイオテクノロジーのように理系の叡智が必要な時代になると日本は勝てない。ところが、文型がマスコミを牛耳るために、勉強をすることや学歴を得ることでさえ悪いことにされてしまう(東大を出ていても、ゆとり教育の際の教育課程審議会会長の三浦朱門氏や文部科学省の寺脇研氏のようにゆとりを推し進めた人間がいるが、すべて文系の連中だ。理系で学歴批判をしているのは、アメリカにいってからとんと実績をきかない中村修二氏くらいしかしらないが)。

理系を優遇しろとは言わないが、文系と理系のバランスのいい人事(たとえば文部科学省は教育政策の中枢なのに、旧文部省の文系のキャリアだけがえらそうにしているそうだし、厚生労働省だって、理系の技官が次官になったことはない)をできるようにしてほしい。

男女の人事のバランスの悪さを言う人は多いが、文系と理系のバランスの悪さのほうがはるかに深刻なのだ。