8月15日というと終戦記念日、もしくは敗戦記念日である。

いくつか、これについて言いたいことが。

私は自分では愛国者のつもりだが、現時点では反戦論者である。現時点ではという言い方をしているのは、ヒューマニストとか哲学の立場で反戦を唱えるのでなく、戦争が損だから戦争をするなという立場だということだ。損でなくなったら、認める立場になるかもしれない。ついでにいうと、日本人は可愛いが、外国人はそんなに可愛くない(憎たらしい人間も皆殺しにしていいというアメリカ人ほどえげつない考え方をしてはいないが)。

一つには、20世紀の歴史を見る限り、戦争は戦時中以外はほとんど経済効果がないし、割に合わないということだ。第一次世界大戦でも、戦勝国のイギリスやフランスだって景気はよくならず、戦争に参加しなかったアメリカだけが漁夫の利を得ている。たとえば、イラク戦争などは、アメリカが予想外の抵抗にあってひどい目にあったが、すなおにイラクを手中にいれたとしても、イラクの石油利権を独占したら国際世論が許さないだろう。イスラム諸国に、石油利権の国有化やメジャーの権益の接収の口実を与えるだけだ。

国際世論が変わって、戦争で勝ってぶんどった土地は、好きにしていいし、現地人は奴隷にしていいし、そこの国の資源は勝った国のものという風に帝国主義時代に戻るのなら、戦争をやるのも軍備を増強するのもいいだろうが、そういうことはほぼありえないだろうから、おそらく戦争は割りに合わない。

最近のトレンドとしては、国際的な紛争の解決のための戦争ということだろう。ひどい国がでてきたら国際的な協調をしないといけない。金だけ出しているのでは、外国が納得しないという話だ。

これは、アメリカについてはありえない。一つは、アメリカの一般人は国際ニュースにほとんど興味がない。日本が戦争に協力や参加をしても、そのことを知っているのは1割もいないということになるだろう。あまりにコストパフォーマンスが悪い。日本のジャーナリストは東海岸と西海岸のアメリカ人や、政府の偉いさんやインテリ層としかつきあっていないから、その評判を気にするのだろうが、私のように3年もカンザスに留学していると、一般のアメリカ人の心理や彼らの関心はよくわかる。アメリカの政府だって、それは望んでいない。「これからは憲法を改正して、軍隊を出す代わりにお金は出しませんといったら、金も軍隊も出すのならいいが、軍隊だけならむしろ足手まといだから金だけのほうがいい」といわれるのがおちだ。アメリカだって金のほうがよほど困っている。

日本が戦争をしなかった、アメリカに守ってもらっていたから、経済発展ができたという言説があるが、その通りだと思う。それくらい戦争は割が悪い。昔のインテリが政治家をやっていた時代には、外交を上手にやってアメリカの軍事力を利用していた。頭を下げながら、コストを日本の発展のほうにかけられた。しかし、今はアメリカに利用されるような政治家ばかりだ。余計なことにお金をかけていたら、経済のほうは立て直らない。軍事費に金をかけずに、国内の発展や教育に金をかけるほうが、政治としては賢い。

北朝鮮リスクはどうか?確率論から言うと、金王朝(後を継ぐとかいわれる息子も含めて)が続く限り(軍隊がクーデターを起こせば別だが)、戦争はブラフだろう。死ぬのが怖いからだ。こういう人間には戦争はできない。100分の1くらいの確率で暴発があって、自分の国が滅ぶのを覚悟で核兵器を落としてきたとして死ぬのは20万人くらいだろう。期待値としては2000人。国が人の命を粗末にする「痛みを伴う構造改革」をやった痛みで自殺している人間は年に35000人。「改革」後の純増(つまり「痛み」)の部分は毎年1万人。毎年1万人人が死んでもいいと思って改革を選択したのだから、北朝鮮が戦争をしかけてきて20万人くらい死ぬのは、コストではないか?むこうがやけくそを起こしたら3日で、返り討ちにあうくらい武器も燃料もないようだし、アメリカも、日本のためではなく、また実験をしたいので、北朝鮮に核兵器を落としてくれるだろう。このために、毎年何兆も金を使うのはばかばかしい。せいぜい、5000億くらい使って、核兵器を10発も用意しておけばいい。

このくらい私はドライな考え方をしている。むしろ3万人以上の自殺が放置されている国で、おためごかしを言うなと言いたい。

「富国強兵」とは名言である。富国がうまくいってからこその強兵だ。順番が逆で少なくとも近代以降うまくいったためしがない。経済を回復してから、自殺を減らしてから、9条改正だの、常任理事国入りだのいうなら話がわかるが、経済が回復するまでは、それは危険だ。満州国がきちんと開拓され、ソ連に対抗できるようになるまで、中国に謝ってでも戦争を避けろといった石原莞爾のいうことに従っていたら、今頃どうなっていたかを考えたらいい。

防衛政策がなっていないと国がつぶれる、そんな政党に政治を任せるなとかいうが、アメリカでさえ、選挙の際のプライオリティとして軍事政策は低いところにある。教育のほうがプライオリティははるかに高い。民主党は、なぜそういうことがいえないのか?社民党とくめば国がつぶれるとかいうが、リスク計算(まともに確率で考えられる発想)ができないほうが、よほどまともな経済運営、政治運営とはいえない。

ためしに、来年北朝鮮が攻めてくるということで賭けをしてもいいくらいだ。10億円かけてもいいが、賭博が禁止されているのでやめておく。賭博が解禁になったら賭けにきてくれたら応じる。もちろん、私は攻めてこないほうに賭ける。(こういう賭けでもやらないとリスクを計算しない人がほとんどだ)

靖国参拝について。

明治以降だけが日本の歴史でない。明治以降にたった神社をなんであんなに重視するのかわからない。日本人は薩長史観に染められすぎている。これでは、アメリカより歴史のない国になってしまう。長州出身の安倍氏が参拝するのはよくわかるが、戦後、薩長政権は終わったのだといえる人はいないのか?

もちろん、天皇陛下が参拝していたのだから、以前の靖国なら参拝するのは個人の自由だろう。しかし、天皇陛下が参拝しなくなった理由が、一宮司の独断でA級戦犯を合祀したということを許していないという推測が正しいのなら、わざわざ首相が、私は天皇陛下と考えが違うということを示す必要があるのか?

私は極東軍事裁判は戦勝国が勝手にやった裁判だと思うし、その判決が正しいといいたいわけではない。ただ、自殺が人災だと思う立場の人間として、「生きて虜囚の辱めを受けず」と部下に言って何万人、何十万人と自殺させておきながら、虜囚の辱めを受けてきたような人間に参拝する気になれないだけだ。軍人でない近衛文麿だけが筋を通したという点でも薩長史観がインチキだと私は個人的には信じている。そして、裁判でA級戦犯にならなかった人間が首相になっているようだが、これこそ極東軍事裁判が正しくて、連合国が無罪といえば無罪になるという、まさしく極東軍事裁判の判決を是認していることにならないのか?こういうダブルスタンダードは人間として気持ち悪い。

もちろん、軍事裁判では無罪になったが、国民裁判を受けたいといったのなら別だが(選挙で勝ったからいいという考え方もできるが、それは長州の選挙でしかも中選挙区の時代に勝っているのである)