最近、メッセージが増えてきたが、おかげで答えられないものもたまっている。

本日は、ちょっと前にもらった道州制をどう思うかについて、地方分権と絡めて話をしてみよう。

ちょっと前に、関西のとある文化人(その人の名前を出していいのかわからないのであえて名前を書かないことにする)の方と話したときに、「地方に人がいないことがわかっていて、わざとやらせてみて、失敗したら、『やっぱりできなかったでしょ』といわれて、中央集権に戻るのではないか?」という予想をされた。

私も、これはあたっていると思う。逆指名とフリーエージェントで愛する広島カープがぼろぼろにされて、巨人や阪神にたちうちできないチームにされたが、今の東京一極集中は、人の問題が大きい。全員が逆指名で巨人に入るような状態になっている。もちろん、優秀な人間で、京大や名古屋大、九大などに行く人間もいるのだろうが、東京には東大だけでなく、早稲田、慶応、一橋まである。優秀な高校生が「逆指名」で入っていく。そして、名古屋大だけは、卒業してもトヨタのような会社があるが(中日がそこそこ強いのも納得できるープロ野球こそ、弱肉強食の経済の縮図だ)、関西系企業が地盤沈下した今、京大を出ても、東京の会社に入る人も多いし、関西系企業の優秀な人材は、「フリーエージェント」で東京の会社や、東京に本社をもつ外資に引き抜かれる。マスコミなどは、ほとんどが東京で紙面を作り、東京で番組を作るので、人材は東京一極集中がますます進んでいるし、官僚と地方公務員のレベルの差は開く一方だ。

今、地方分権をして、地方に好きにやれなどという話になれば、高校野球の並みのチームが、巨人と試合をやらされるのと同じことだろう。もちろん、そのチームにすごいピッチャーがいたら、途中まではそこそこの試合になるかもしれないが、最終的に、巨人のピッチャーを打てないだろうし、長丁場の連戦なら、ピッチャーの頭数が違いすぎる。

たとえ話が長くなったが、分権したところで、何をするかというアイディアがなければ、結局のところ、地方の衰退は止まらない。たとえば、東国原知事にしても、宮崎の商品の宣伝と道路を作れという主張だけだ。要するに東京従属の発想は変わらない。もちろん、東京の観光客を呼ぶという発想自身は悪くないが、実際には道路や新幹線は、ほぼ必ずストロー現象を起こしている。うまくいっている観光地というのは、道路つながりは悪いが、東京の人間から魅力のある黒川や湯布院だ。

道州制や地方分権というのは、法律の制定権と税制の自由がない限り、おそらく意味がない。

たとえばカジノを作りたいときに、日本国の法律より、その道州の法律で許されるなら、その地域が栄えることもあるだろう。マカオはいまやカジノで、香港経済をしのいでいる。昔は香港に泊まってマカオに遊びに行くのがスタンダードだったが、今はマカオのほうがホテルがゴージャスだし、安い(カジノがあれば、ホテルが安いのは、ラスベガスも同じだが)ので、マカオで泊まって香港に食べに行くのがスタンダードだそうだ。

アメリカは州によって法律が違うので、ネバダ州はカジノが合法だし、ラスベガスを一歩出ると売春も合法だ。かくして、砂漠の真ん中なのに、アメリカでも有数の豊かな州になった。そのラスベガスをマカオが抜いたという話もある。

中央が建前をいって、地方を縛っている限り、道州制にしたところで貧乏州が発達する方法論がない。イスラム圏と仲良くする州(たとえば武器の技術を提供して、見返りに安く原油がもらえる州)があったとして、「日本国としては困るのだが、地方自治の関係で、規制できないのだ」とかいえるくらいのしたたかさがないと地方が発達できない。

しかし、日本中の県警本部長(もちろん地方公務員だ)がすべて警察官僚という中央集権なのが現実だ。法律や警察権が地方にない限り、地方の発達の芽がない。

あるいは課税権も地方にないと地方の特色が出せない。累進課税が厳しくて、貧富の差のないところが発達するとか、逆に相続税をタダにして、金持ちがタックスヘイブンのように引っ越してくることで栄える地方もあるだろう。アメリカでは、州によって消費税も違う。

ただ、最終的には人材だ。

地方分権や道州制にする前に、たとえば東大を山形あたりに移転させる(ハーバードだってニューヨークから見ると東北地方にある)。がんセンターを築地から北海道に移す(アメリカで一番いい、メディカルセンターとされるメイヨークリニックはミネソタ州にある)。理化学研究所は広島に移す。テレビのキー局は全地方に散らす。

そんな形で優秀な人材が地方に移さない限り、地方分権が成功するとは思えない。

もちろん、地方の首長や政治家は頭のいい人間が地方にくると困る人がたくさんいるのかもしれないが。