昨日は、私の主宰する和田塾緑鐵舎で、DeNAの南場智子さんが講演をしてくれる。

勉強だけできるエリートじゃつまらないから、いろいろな人の話を聞かせて、生徒に刺激を与えようという試みである。

advisorではダメでdoerにならなければならないということばは、生徒にもそうだが、私の心にも相当響いた。医者の世界であれ、教育の世界であれ、doerとはいえないような大学教授たちがめちゃくちゃにしていった。私の塾にしても、受験勉強ができる人間が、つまらない人間や性格の悪い人間にならないように、いろいろな教育を心がけている。

しかし、いっぽうで南場さんは会社をやる以上利益を出さないといけないし、利益というのは社会に新たに生み出したものなのだから、悪く言われる筋合いがないという。これもそうだと思う。受験勉強にしても、結果を出さないといけない。人間性だけを育てるなどというおためごかしがきかないのが教育産業の宿命だ。試験がつまらない人間をうむので、研修をすればいいと、私のアナウンサー国家試験や免許更新制を批判したメッセージの主はおっしゃるが、研修は残念ながら聞いたふりができる。私が言いたいのは、本業のアナウンサーをやる際に、でまかせな日本語を使ってもらえば困るという話で、それ自身が試験のようなものだ。本番で力を出せるのがプロという点で、実は試験というのは意味がある。

もちろん、医者の世界も治してなんぼのものだ。理屈はりっぱでも、人間性はりっぱでもヤブ医者では話にならない。

私が偉そうなことを書けるのも、大学の教授や審議会の委員より、教育では成功している自信があるし、少なくとも高齢者の精神科臨床では、そうそう人に負けない自信があるからだ。それについての勝負はいつでも受けて立つし、逃げはしない。教育の鉄人とか、高齢者臨床の鉄人という番組があるなら、相手を叩きのめすことには自信がある(もちろん、個人差があるので、臨床のほうが難しいのも認めるが)

さて、実は、講演が終わった後の食事で、南場さんと金持ち道の話が出た。あれだけ利益を出している(女性の創業社長では日本一のはずだ)のだが、相続税はもっと高くていいという。それより教育が大事だとも。いっぽうで、日本は金ができても使うことがなさすぎるし、金持ちのほうも使わないと。寄付の文化のなさも嘆いておられた。

私もそう思う。

各紙で、お茶の水大学の耳塚教授らによる収入と学力の相関が話題になっていた。親の収入が多いほど学力が高いと。

しかし、意外に触れられていないのは、それが親の年収が1500万円までの話で、それを超えるとまた学力が下がってしまう。

金持ちが相続に汲々しており、相続税を下げろとかほざきながら、子供には金があるのに、ちゃんと勉強させない。アメリカでは、金持ちの家ほど、子供をボーディング・スクールにやるなどしてきちんと勉強させるのに。第一、よその国には小学校から大学までつながっているような名門大学は存在しない。だから勉強せざるを得ない。

今は親が80くらいまで生きるから、親が社長なら子供は親が目の黒いうちに社長になる。そいつがバカ社長でも親が死んで株が相続できるから、社長を続けることになる。親が死んで、株が相続できなくても、社長を続けてもらいたいと思うような人が社長でいるべきだろう。そういう世襲社長もいっぱいいる。だから、相続税など、少なくとも金融資産に関しては100%でもいいのだ。実際、50前に社長になれば、毎年5000万円くらいの年収になるだろうから、それで十分な生前贈与といえる。

相続税が高くなって、できの悪いやつが会社を継げなくなったり、あるいは、財産が継げない分だけ、USENの宇野氏のように自分で事業を起こして、親にエンジェルになってもらうというパターンが増えるだろう(宇野氏の場合は、親の会社もついでしまったが)。

年収が1500万以上でも、お金持ちでも、子供に勉強させるシステムを用意すべきだ。私はDNAをあまり信じないが、本来親が金持ちであるということは優秀なDNAをもっているはずだ。親が小学校から付属の学校にやり、子供に相続財産をせっせと貯めこんでいるから、優秀なDNAが開花しないままになる。

あるいは、それこそ、相続「試験」をやったらどうか?