昨日は、またまた竹中氏が、自由経済至上主義のような考えを撒き散らしていた。

日本とアメリカが最低賃金が低く、ヨーロッパは高いが、実はヨーロッパは法人税が安く、日米は法人税が高いという議論をして、法人税を下げれば最低賃金も上がるという乱暴な議論をしていた。

しかし、法人税というのは、利益にしかかからない。従業員に給料をたくさん払って利益を圧縮するほうが法人税は安くてすむ。たとえば法人税が80%もある国だと、税金でもっていかれるのがばかばかしいから従業員の給料が上がる。実は、戦前のドイツも、戦後のアメリカも、高度成長期の日本も法人税は今より高かった。そのために、従業員の給料が上がり、内需が伸び、経済が発展した。法人税が安くなってからのほうが、日本もアメリカも成長していない。ヨーロッパが法人税を安くするのは、企業にお金をもたせてM&Aなどをやりやすくする効果があるのだろうが、決して最低賃金とリンクしていない。第一、最低賃金というのは政治が決めるもので、これもある種税金のようなものだ。最低賃金を政治が高くしているので、利益が出にくいから法人税を安くしてあげているというほうが真相だろう。原因と結果を逆に語る詐欺にひっかかってはいけない。

内申書で、体育や音楽が主要科目と同等なのはどうかというメッセージをいただいた。

基本的に内申書重視になってから公立学校が、私立に勝てなくなり、貧乏人は東大や医学部にいけなくなるというデメリットが生じた。高校というのは、義務教育ではないのだから、自分の能力特性に合わせた学校を選べるようにしてあげるのが筋だろう。

たとえば、野球の名門校に行きたい子供が、数学や英語の内申点が悪いからといって、いけないというのはどうなのだろうか?

もちろん、文武両道を標榜する学校、進学に特化する学校、芸術的なことに力を入れる学校、サイエンスに特化した学校、スポーツに力を入れる学校など、おのおのの学校で、内申書のどの科目の割合を高くみるかを変えるのが当たり前のスタンスだ。すべての学校が9科目みないといけないのはおかしいし、学習障害(とくに特定の科目の)の子供や身体に障害のある人間、音楽的能力が先天的に劣っている人間などを廃することになる。少子化の今こそ、個性に合わせた教育を目指すべきだし、各々の高校で特徴があっていい。

もう一つ、東大は3000人も入るのだから、甲子園と価値が違うというメッセージについて。

甲子園でベンチ入りできる人間は春夏で約1500人、春夏の重複があるから1000人ちょっとということを考えれば、確かに狭き門のように思われるだろう。

しかし、参加者数はどうか?野球部員が全校生徒の10分の1もいる学校のほうが珍しいだろう。平均して50分の1かそこらではないか?大学受験は生徒の約半数は参加する。50分の1から選ばれる1000人と、2分の1から選ばれる3000人では、実は東大合格のほうが実は珍しいことになる。

参加人員を考えないで、ただ金メダルだったらすばらしいというのは日本のマスコミの特性だ。女子柔道で金メダルをとるのと、水泳や陸上で金メダルをとるのでは価値が違う。外国のメディアの取り上げ方をみればわかる。アテネで観戦していても、客の数が違いすぎるが日本人はそれを報じない。

人間の動機づけについて、最近は周囲による暗黙の動機づけが注目されているという。周囲が勉強すると、自分も勉強する気になるし、周囲が勉強ができることがかっこいいとみると、勉強する気になるというものだ。

日本の学力が中国や韓国に抜かれている以上、これは国策として喚起しないといけない。

実際、日本だって、サッカーにいい人材を集めて、ワールドカップで勝ちたいと思えば、高校サッカーを野球以上に大きく取り上げるとよさそうだということは、十分に想像できることだろう。

それと同じように、日本人の学力を上げたいなら、ゆとり教育の見直しだけでなく、マスコミがもっと勉強のできる人間を持ち上げないといけない。

マスメディア、とくにテレビメディアは許認可事業なのだから、国民の教養レベルを上げるとか、知る権利を満たすとか以外に、国益に沿うことをやっているかをきちんと評価されるべきだ(実は、番組放送時間中何%以上ニュースを入れるとか、何%以上教養番組を入れるとかが、認可の条件として決められているのに、平気で破られているのが実情だ)。

珍しいものを取り上げるというのなら、東大合格でなくても、数学オリンピックの優勝者などをもっと持ち上げればいい。中国や韓国では大絶賛させるから、日本よりはるかにメダルをとっているのだ。

そのメッセージの主は、野球のほうがドラマ性があり、受験にはないという。この誤解も大きい。

野球部に入るような子は、その学校の中では野球ができる子だろう。そういう子が必死で練習しても、強い学校には勝てない。しかし、受験は、E判定から東大合格などということがゴロゴロしているし、戦術をかえて逆転合格ということもしょっちゅうある。私の同級生でも、自動車の修理工から東大の理科Ⅱ類に入って、最終的に医学部に進学して医者になったやつがいる。日体大から体を壊して、東大に入った同級生もいた。ドラマはあるのに、とりあげないから、受験勉強は才能のない奴には勝てないと思われてしまっているのだ。

私の『受験のシンデレラ』にしても、林真理子先生や中園ミホさん、中瀬ゆかりさんなど多くの人が泣いてくれた。それどころか、モナコ国際映画祭では、ヨーロッパの人もみんな泣いて、よその映画のサポーターできていた日本人がないていないのをみて、「あんた、日本人なのになんで泣かないの?」とどやされていたくらいだ。

受験だってドラマにできるのに、興行にならないと思われているからドラマにしないだけなのだ。(映画やテレビが金儲けにしかならないと、国益にかなうものはできない。文化庁はなんのために映画を助成するのかを考えるべきだ。現実には、暴力のない映画を表彰するモナコの映画祭でグランプリをとったこの作品は、寺脇研がかつて文化部長を務めていたこの役所には、文部科学省を追い出されたゆとり教育派の役人が多いらしく、助成の対象にされなかった)

ところで、この『受験のシンデレラ』だが、品切れなのに増刷がかからないらしく、アマゾンでは3万円の値がついている。ツタヤに借りにいってもらうか、版元のジェネオンにがんがん注文を出してもらえれば、もう少し安価で多くの人に見てもらえるのだが。