新聞を読んでいたら、酒気帯び運転での懲戒免職での自治体の敗訴が続出しているという報道があった。

懲戒免職というと最近はかなり多くなったが、私の記憶では、人をひき殺しても懲戒免職ではなかったように思う。それに対して、飲酒の場合、検問でひっかかれば懲戒免職であり、取り消されはしたが、長野県では、前日の晩飲みすぎて、徒歩で自宅に帰り、翌朝警察でアルコール濃度を調べられて、酒気帯びということで懲戒免職になったケースもある。

東京のように、公共交通機関が発達しているわけではなく、東京の人間は黒字になったと喜んで民営化が成功したとされるJRが地方でバカバカ路線を廃止した結果、それがよけいにひどくなっている現状と、東京の年収の約半分が当たり前で、タクシー代や代行代がそう出せない人が多い現状を考えれば、今の飲酒運転狩りは、地方の人間には家で、仲間を誘わずに飲めといわんばかりで、飲酒運転は減っても、アルコール依存やうつ病を増やさないかが心配でならない。自殺者は飲酒死亡事故の100倍あるという現実はまったく無視されている。

そもそもスピード違反で人を殺す人間は、飲酒で人を殺す人間の10倍以上いるのだが、しらふで違反であることがわかっていて、スピード違反をして人を殺す人間が懲戒免職にならないで、事故も起こしていない飲酒検問に引っかかった人間が懲戒免職というのは、私にはまったく解せない。福島では信号が両方向青という状態が30年も放置されていたそうだ。私の感覚では飲酒運転よりはるかに危ない話だが、懲戒免職どころか担当の警察官の処分はまったくないようだ。両方向青でも、ほかの車とぶつかるのは前方不注意なのだろうか?その割に事故が少ないのも、東京の感覚と比べて車が少ないのかもしれない。地方だと夜中に飲酒して帰っても、人が歩いていないから人身事故はめったに起きないそうだ。ほとんどが自爆事故だという。

裁判員のほうが裁判官よりまともな市民感覚をもっているというが、東京にしかテレビのキー局も大新聞の本社もない現状で(もちろん、地方局や地方新聞の人たちの多くはタクシーチケットをもっているので、飲酒運転を取り締まられても痛みは感じないだろうが)、市民感覚というのが、東京のマスコミが作った市民感覚というのでは、裁判まで東京のマスコミが判決を作ることになってしまう。

私には、裁判官のほうがまだまともな感覚があるように思えてならない。

何度もいうが、飲酒をしているときのほうが、痴漢も暴行も多い。学生の最近の集団レイプ事件もすべて飲酒がらみである。

禁酒法というのならまだ話はわかるが(たぶん、それが施行された時点で私は日本を移住するだろうが)、飲酒運転を世界でトップレベルの厳しい基準で取り締まって、退職金も出ないし、離職票にも懲戒免職と記載されるため再就職もきわめて困難な懲戒免職というのは、どうなのだろう?

これまで何一つ悪いこともせずにまじめに働いていた人が、ビール1,2杯飲んで(外国なら当然酒気帯びの基準に該当しない)飲酒検問にひっかかって懲戒免職になったあげく、再就職先もなく、また退職金ももらえなかったために貯金もなく、路頭に迷って、子供二人と一家4人で心中ということになったら、東京のマスコミは、「自業自得」と書き立てるのだろうか?少なくとも、その二人の子供と奥さんには何の罪もないはずだが。