土居健郎先生が亡くなった。

昨日の夕刊で見て、あまりにびっくりして声が出ない。

最近は音信が途絶えていたが、この2月に最新刊を出され、88歳にして健在振りを発揮しておられたからだ。

私自身はというと、メニンガー精神医学校に行く際に推薦状は書いてもらったし、帰国後はしばらく土居先生の精神分析を受けていたこともあって、憧れの父親のような存在だった。

私が、『老人を殺すな!』という本を出した際に、タイトルはひどいが、内容はすばらしいと励ましてくれた。それ以来、高齢者医療の問題点を頑張って書き続けようと決意したものだ。

はっきりとものをおっしゃる方だったがとても優しい人だった。

実は、昨日、たまたま新刊を出すにあたって、口述筆記の取材があったのだが、土居先生の甘え理論の話をしていた。

甘えの構造ということばは、未だにマスコミがよく使う言葉で、甘えている業界とか、官僚とか、権力などの癒着の批判に使うことが多い。要するに甘えることがいけないことだというのだ。

しかし、土居先生が問題にしたのは、甘えられないほうの問題だ。

素直に、人の好意を受け止められればいいのに、どうせ自分なんかと、甘えることができないので、すねたり、ふてくされたり、被害者意識をもったりする。

これは、まさに慧眼だ。

痛ましい、無差別殺人が本日も報じられていたが、こういう人のほとんどは、人に甘えることができず、被害者感情や世間への恨みをつのらせていく。

もちろん、日本人には甘える特権もあると土居先生は指摘していた。

宴会でビールが空になったときに、手酌を始めるような人は甘える能力がないのだが、それに気づかずに話に興じている周囲も断罪される。人の持つ甘えの期待に周囲が応じてあげないといけないのだ。

ところが、日本ではこの甘えが最近許されないことになり、負け犬が見殺しにされる。

そうした中での無差別殺人などは土居先生がひどく悲しむものだろう。

子供の頃に甘える経験がないと、「自分」というものができないともいっている。

これは、私がもういっぽうで敬愛するコフートの考え方とまったく同じものだ。

本当に、私はありとあらゆる点で土居先生に影響を受けている。

もっとも影響を受けた理論家であり、精神分析医といえるかもしれない。

本当に心から哀悼の意を表したい。