一件、受験生からのメールがきた。

好きな人のことが気になって勉強が手がつかないという話。私の本にアドバイスが書いていないという話だったが、何かの本には書いた記憶があるが、あまりにたくさんの本を出しているので、全部読むくらいなら勉強しろといいたい立場だ。

さて、そういうわけで、私からのアドバイス(同様の人も少なからずいると思うので、あえてブログで書く)。勇気を振り絞って告白することだろう。

気になることがあるときには、勉強が手につかないのは、人間の心理や脳の特性からみて当たり前のことだ。気もそぞろで3時間勉強しても、集中した1時間にも及ばないだろう。正直に告白してみて、つきあってくれるという話になれば、それを勉強の励みにすればいい。合格したら一緒に旅行しようなどという話になればモチベーションもあがる。

ただし、デートは週1回3時間までとか、電話は一日30分までという制約はつけるべきだ。受験の成功のために告白(もちろん好きな人がいるから告白するのだが、後でなく今告白するのは受験のためだろう)するのだから、相手に溺れてしまって、受験が手につかないのなら本末転倒だ。

ふられたら素直にあきらめて勉強することだ。大学生になれれば、とくに有名大学に受かることができたら、出会いの機会も多いし、同じルックスで同じ性格ならいい大学にいっているほうがもてる。リベンジのつもりで勉強したほうがいい。

ところで、現時点ではまだ100%確定というわけではないが、マイケル・ジャクソンが亡くなったそうだ。

50歳、私より1つ上という点では若死にだ。先日の眞木さんにしてもそうだが、今のご時勢50とか60で死ぬというのはありえないくらい若い話になってしまった。

高齢社会、超高齢社会という言葉は盛んに使われるが、これは高齢者の割合が多いという意味で、長生きの社会は長寿社会という。

年寄りの割合が増え、年寄りがよく長く生きられるようになったのであれば、そのグランドデザインが必要なのだが、それがうまくできているように思えない。

私は高齢社会にあった思想は30やそこらで死んだキリストの思想より、自らが長寿だった孔子の儒教思想のほうが適していると思う。

高齢者を敬い、立ててやる。もちろん、福祉は必要だろうが、自殺が多く、感情が不安定な高齢者を、社会で共生できるためには、多少不愉快でも、若い人間は高齢者を立てるべきだと思う。

また人々が若返っているし、労働力も不足するなら年齢差別禁止法のようなものを作るべきだ。

しかし、たとえば政治の世界では、若いほどいいというくだらない考えが蔓延している。高齢議員が年齢差別と戦って、現役を続けようとすると老害扱いされるのに、まだまだ現役でやれるのに引退して、20代の子供に世襲させると(自分の影響力があるうちのほうが世襲がうまくいくのは当たり前だ)、その息子はらくらく当選するし、若いので注目を集める。30台になれば、今の少子化担当大臣のように大臣になることだろう。ところが、今の大阪府知事もふくめて、同じことをやっても、若いだけで評価が上がってしまう。テレビ局のディレクターが年寄りのことを考えない若手だからだろう。

同じ儒教思想でも、高齢者を立てることは、高齢社会対策になるが、世襲(家を守るという考え)は、そうでなくても若い人間のやる気をどんどん奪う社会になる。高齢者を立てて、若い人間がなかなかチャンスがなかった時代のほうが、子供たちは勉強した。後で報われると思えるから一生頑張れるのだ。

儒教の悪いところだけ見習う国は、やはり北朝鮮と日本だ。ただ、北朝鮮は若い子供への世襲がなかなかうまくいかないし、長老の力が強いようだ。

日本のほうが高齢社会なのに、いまだに「欧米化」で若いほどいい形で、逆行していたら、高齢者も若者も不幸な社会になると私には思えてならない。