東国原知事が総裁にする覚悟があるなら自民党から衆議院選挙に出るといったり、自民党もかなりなめられた状況になっている。ほかに知事会マニフェストを飲まないとという条件も出したらしい。ただ、日本の知事たちというのは、地方分権とか財源委譲を要求するが、自分の県を栄えさせる方法論をもっていない。私が知事なら、法律の制定権を求める。それがあればネバダ州のようにギャンブルをその県で法律を作って合法化すれば、第二のマカオにでもなりえる(すでにラスベガスを売り上げで抜かしたという統計もある)。ほかにも中央集権のわけのわからない法律が県の自立を阻害している。学習指導要領だって、県で作って、その県から東大に500人くらい入れるようにすれば、霞ヶ関ののっとりも可能なのだ。今の知事会マニフェストは知事の権限を足せという単なるわがままに近いし、地方分権の名のもとに、弱い県が自由競争にさらされてより弱くなるだけのものだ。

そういうなめられた状況の中、ばら撒き復活とばかりに政府は骨太の方針を修正して、歳出抑制をやめる方向にむかったという。

これでますます国の借金が増えるという悲観論はほうぼうで聞かれる。

最近、ふと気がついたのだが、国の借金が増えて、あるいは国が借金を返せなくなって困るのは誰だろうということだ。

日本の場合、国債を買っているのは、日本の金融機関と日本人だ。外国人がもっている国債は1割に満たない。地方の借金はなおのことだ。もし、それを踏み倒すとか、半分しか返せないという形で徳政令のようなものを出せば金融機関は大パニックになるし、とりつけ騒ぎがおきるだろうが、結局のところ金融資産が多い人、つまり金持ちほど大損をする。

国の借金を返すために消費税を上げるということは、このように金持ちに損をさせないために、貧乏人もみんなで税金を払いましょうということになる。

実は、これは私が『富裕層が日本をダメにした』を書いた際に気づかなかった視点である。

国が借金をしてまで、いろいろなばら撒きをすることは、相対的に貧しい人のほうへ恩恵が大きい。

累進課税をよほど厳しいものにしない限り、国の借金を減らそうとすることは、金持ちに安心感を与えるだけの政策なのである。

しかし、この点でも貧乏な人ほど、国が借金まみれだと、自分たちの老後が保障されないと不安になってしまう。そして、買いたいものもがまんしたり、消費税を上げることにもろ手をあげて賛成する。

表立って累進課税の復活をいえないから、国の借金を増やすやり方をしているのは、意外に貧乏人の味方(中高年くらい以上の官僚は、私のように貧しい中から這い上がった人が多い。私立学校を出たぼんぼん官僚が主流の若手官僚の時代になってから、外資に移って高給をとる官僚が増え、またアメリカ型の改革に賛成するようになったのだ)の官僚の知恵なのかもしれないと、ふと思った。