脳死法案が、15歳未満でも脳死を認める形で衆議院を通過した。

多くの移植待ちの子供をもつ親たちが大喜びしているようだ。

もちろん、この中の何人かは救われるだろう。しかし、みんなが救われるような幻想をふりまくのはどうかと思う。

実際、現時点でも脳死心移植は多い年で年間10例。とてもではないが、希望においついていない。そこで、子供にもドナーになってもらおうということだろうが、交通事故も減り、海外のように銃による犯罪の少ないこの国で、まず子供が脳死になることがきわめて少ないだろう。その上、脳死というのは体も温かいし、心臓も動いている。事故か何かでそんな状態になった子供を移植のために提供できる親がどれだけいるのだろう。(虐待で殺した親ならやるだろうが。自分の虐待を隠蔽できた上に正義の味方になれるのだから)

移植を待つ親たちも、子供の命のために、誰かの不幸を待たないといけない。そのくらいわが子の命というものは親にとって大切なものだ。兄弟が何人もいた時代と違い、せいぜい二人くらいの時代に、子供が脳死状態になって、それを提供する親がどれだけいるかは想像できない。私の予想では年に2、3件だろう。とても、待機患者を救える数でない。

しかし、この手の法案が成立すると、医学の進歩はむしろ遅れる。移植に頼るから工夫がなくなる。前の脳死法案が決まる前には、日本の人工心臓の技術は世界一だった。また生体肝移植で毎年数百人の命を救っている。脳死肝移植の何十倍もの数だ。

iPS技術の進歩など、移植に頼らない医学の発展を応援するほうがはるかに多くの数の命を救えるし、内科の進歩で移植しないと死ぬといわれる子供も10年くらいは待てることがざらにある。

数字を無視して、わずかの数(わずかの数だからこそニュースになる。当たり前に行われるのではニュースにならない。たとえばこの法案が決まって最初の子供の移植はマスコミが大報道して絶賛するだろう。日本中の移植外科医がそのヒーローになりたくてうずうずしている)の美談が優先され、統計数字が無視される。これが日本のマスコミと政治家のあり方だ。こんなポピュリズムが愛国心といえるのか?ただの人気取りでないのか?

と思っていたら、やはり官僚のほうがプラグマティックな愛国心のある人がいるようだ。

とあるエリート官僚が、私の『富裕層が日本をダメにした』を読んで、私に会いたいという連絡をくれた。

話を聞いてみると、私が経済をわかっている、信頼できる経済学者たちと同じ意見だとお世辞を言ってくれた後、内需リード型の世の中を作る準備や、保護貿易はすでにヨーロッパでは着々と進んでいるらしい。(今後の経済の見通しについてはマスコミで報じないことをいろいろと教わった)

日本でも所得の再配分をきちんとやらないと、経済は回っていかないし、内需も弱まる一方だ。日本の金持ちが自分で自分の首をしめていることに気づいていない。

外国経験も長いこのエリート官僚の話には説得力がある。数字を読む能力も、数学を受験に課さない大学を出たマスコミの人間や政治家よりははるかにありそうだ。

しかし、それ以上に、愛国心に打たれた。

官僚をたたくのは簡単だが、民間より安い給料で、国のために、国を思う気持ちが強い人が多いことも事実である(悪い奴がいることは否定しない。しかし、どっちが多いかというと愛国的な人のほうが多いのではないか?)

金をインセンティブにする社会より、名誉をインセンティブにしていたころのほうがよかったし、それを再建するためにがんばってくださいと言われたときには、私に何ができるのだろうと思いつつ、細々と愛国活動を続けていこうと思った。国の金を使って大学を出させてもらったのだから、自分の金儲けに走るよりはそのほうがご恩返しと思うからだ。