昨日のブログにもそれなりに反響があった。

私は、自分が東大を出ているからと思われるかもしれないが、高学歴者が優遇される社会をそれほど悪い社会と思っていない。少なくとも世襲社会より百倍ましだと思っている。

ただ、経済格差が大きくなったり、都会と地方の格差が大きくなると、アメリカのように経済勝者でないと高学歴を得られない社会になり、実質世襲社会になることには大変な不快感を感じている。

しかし、日本は愚民化政策と実際は金持ちの味方であるマスコミがぐるになって、公立の中高一貫校や名門校を作ろうとすると袋叩きにする。貧乏人は絶対に這い上がってほしくないのだ。貧乏人の味方の政治家や論客がでてきて、累進課税を復活したり、相続税をあげられたら大変だからだろう。

おそらく、私の『富裕層が日本をダメにした!』も、どこの書評にも載らないだろうし、出たとしても酷評されることだろう。

そのくらい大衆に知られたくない情報が書かれていると自負している。

話は脱線したが、私のいう学歴重視の社会は、18歳学歴を重視する社会ではないということを重ねて言いたい。

女優が勉強して医学部に行きたいというのも、本人は医者の役をやって医学に興味をもったからだという。

残念ながら、その女優とコンタクトをとる手段は現在ないし、今後もない可能性が高い。確かに医者の世界はそんなに甘くないという批判もあるだろう。でも、高校生で、たまたま親が安定した職業だからといったとか、偏差値が高いからチャレンジというより、動機の点では立派なのも確かだ。

また、私のように不純な動機で医者になった人間でも救命センターで仕事をしたり、高齢者専門の仕事をしていたり、家族の生の声を聞くうちに、医者の世界への興味がどんどん高まってくることもある。

人間は、いつ勉強したくなるか、いつ勉強が好きになるかわからない生き物だとつくづく感じる。

だから、歳をとってからも大学や大学院に入れる社会がいい。

実際は、東大がゴールではない。フェアな競争をやるのなら、たとえば、ロースクールで逆転があったほうがいい。アメリカでは、どこの大学を出たかより、どこのグラジュエートスクールを出たかのほうが重視される。悲しいことだが、一生競争の社会だ。

もう一つ言いたいのは、私のいう学歴社会は、高学歴者ほど金を得られる社会ではない。高学歴者ほど尊敬される社会である。

金で差がついてしまう社会は、息子もほっといても金持ちになってしまう。金持ちのバカ息子がバカにされる社会でないと、金持ちが自分の子供に勉強させない。

福祉の仕事などを見ていても、さすがに財源的に福祉を学んだ人間に、仮に東大で学んだとしても、たくさんの金をつけることはできない。

でも、名誉をつけることはできる。福祉を学んだ人間が、尊敬され、異性にもてる社会(私はすぐにそっちに話がいってしまうが)になれば、金が悪くても希望者は増えるだろう。

フィンランドに行って痛感したが、フィンランドは学歴が高いから金持ちになる社会ではないが、知的レベルの高い人と教師がすごく尊敬される社会だった。だから、国民の学力や教育レベルが高く、結果的に生産性も高いので、税金が高いのに、豊かな社会だった。

日本もかつて学歴社会といわれていたころは、士農工商的な要素が強くて、東大出は決して、高収入ではなく、中小企業のオヤジのほうがはるかに金をもっていた。ただ、東大卒がすなおに尊敬される社会だった。
貧乏でも勉強が好きな人や教養のある人が尊敬される(じゃりんこチエの世界はそういう点で私は好きな世界だ)世界を再構築できるかが日本の復活のカギを握っていると私は信じる。もちろん、それは学歴に関係なく、歳をとっても学ぶ人を尊敬する社会でもある。

全然話は変わるが、秋元さんの食事会で、私を出席者に紹介する際に、「この人は灘校から東大理Ⅲだ。お前らの中で最高学歴だ」と紹介した。ほかにとりえがないこともあるのだろうが、非常に素直にほめてくれた気がした。そして、その「お前ら」はすべて成功者の人たちだった。もちろん、社会の成功者になる人もきっと勉強もしているし、頭もいいのだろう(秋元さんがほめてくれても、彼らのほうがずっともてるのも確かだ)。私も彼らを素直に尊敬したい。ただ、一つ言いたいのは、だからといって、自分たちだって一代で築き上げてきたのだから、子供にもそれを求めるべきだし、世襲をやすやす許すべきでないということだ。

私も大きなことを言ってと思われないように勉強しないといけない。