変なメールがきて、気分が悪い。

ただ、この機会に読者の人たちに知ってほしい、私のスタンスについて、一つだけ言っておきたいことがある。

私は、自分の信じることを書いている。間違いもあるだろうし、正しいこともあるだろう。人の思い込みについても、損だと思うことにはアドバイスをするが、聞く耳を持たない人には、意味がないし、それもそれで人生だ。

たとえば、受験勉強は努力とやり方についての情報であるというのは、私の信念である。

私は勉強は、素質より努力だと信じている。両親をみても、遺伝的に優れているとはとても思えない。弟についていえば、小学校2年生までは特殊学級入りを考慮されたくらいできなかったが、その後、東大の文Ⅰに現役で合格している。ただ、努力だけでないのは事実だ。勉強のやり方をしらないと、努力しても、無駄な努力になることは多い。その点、灘校に入ったのは恵まれていた。灘校に行けなかった弟は、私のやり方にまつわる情報をもとに勉強したら急に成績があがった。

私の信念は正しいか間違っているかわからない。素質のない人間に努力を勧め、いいやり方で勉強させてもうまくいかないこともあるだろう。

ただ、弟が、「俺はアニキとは素質が違う」と諦めてしまって、努力もせずに、やり方も変えなければ、東大どころか二流大学にも行けなかったことだろう。

また、素質のない人間が努力をして、やり方をかえて、行きたい大学に行けなかったとしても、やった勉強が果たして無駄になるのだろうか?昔は、無駄な努力を含めて、みんなが勉強した社会だった。当時は、貧乏人も金持ちのうそにだまされることがあまりなかったように思う。それは、彼らのほとんどが、本や新聞を読めたからだろう。努力より素質と信じ込まされて、あるいは勉強が性格を悪くすると信じ込まされて、
愚民化政策をして、結果的に、格差をつけないと人は働かないとか、終身雇用は古いなどという金持ちのうそにだまされて、ものすごい格差社会になってしまった。

私は関西の批判をしないつもりはない。今の関西は見ていて悲しい。金にあかせて貧乏なチームが一生懸命育てた選手を引き抜いて、それでも「勝った」「勝った」と喜んでいる阪神ファンを見ていると、本当に情けない。自分より弱い人間には容赦なく、そのくせして、住友銀行が裏切って東京の会社になっても怒らない。アメリカに尻尾をふって、アメリカの軍人に日本人がレイプされても、原爆が国際法に違反しないといわれても怒らず、北朝鮮の拉致には目をむいて怒るのと同じようにみえて、感情的には嫌だ。

私はいつの間にか古い人間になったのだろう。弱い側にはつい同情してしまうし(それは思い上がりなのかもしれない)、強い側にはケンカを売りたくなる。北朝鮮を見ていても、日本がひどいことをされているのがわかっていても痛々しく感じるが、原爆を落とされたことには憤りが収まらない。

努力をしないよりしたほうがいいとも思ってしまう。

田舎がかわいそうだと思うのも思い上がりかもしれない。実際、昔と比べものにならないくらい、地方から東京への移住者がへっていて、いわゆる社会減といわれるものが減っている。その暮らしで満足しているのだから、地方の人が東京の人の作った政策で、ローカル線を減らされ、公共交通機関がなくなったあげく、飲酒運転を厳罰化したり、年寄りから免許を取り上げるのも、地方の人が満足しているのなら、それをとやかく言うべきではないのかもしれない。

ただ、私としては、東京の人にそういう視点もあるよということが伝えたい。無駄なこととわかっていてもやめられない。

私は、多様な考え方があっていいと思うし、私のことを批判するのは勝手だ。ただ、私も何度も言うが、それで不愉快な思いをしたくないので、そういう批判を読まない権利がある。もちろん、批判を読んだほうが、こちらの考えが深まることもあるのもわかっている。読む気になる批判は読むだろう。ただ、ブログやネット上の公開を前提とした批判と違って、メールでの批判は、侮蔑語や挑発的な言葉を使い、まともな敬語を使えないから、こちらも感情に流されやすくなるから読まないことにしているだけだ。それを前にも断ったはずだが、別のハンドルネームを使って、読みたくないメールを読ませるようなことは、個人的には汚いと思う。

ところで、別のメールにお応えしたいのだが、私は学歴信仰については、肯定派の立場にいる。苅谷剛彦さんがいうように、日本は少なくとも収入面では学歴社会でないのに、世間がそう信じることが、国民の、あるいはその親たちの勉強のモチベーションとなっていたからだ。

ただ、欧米のように再チャレンジのチャンスが小さいのも問題だと思う。高校生まで勉強すればいいのではなく、一生の勉強のほうがはるかに勉強の総量も多いだろうし、価値もあるだろう。22,3歳の東大卒だけでなく、40歳の東大卒のほうが、はるかに官僚や大学の教員に向いているのかもしれない。

医者だって、18,9歳で医学部に入る必要はない。

そのために日本もアメリカやEU諸国のような年齢差別禁止法を早急に作るべきだと私は信じている。

それは何歳になっても努力が大切(それが疲れる人生だというなら、それもいいと思うし、それも選択だろうが、歳をとってから努力をしたい人の権利も認めるべきだという点で)というのが私の信念だからだ。

人間は自由だという美辞麗句は、自由にして金が稼げなかったり、職につけなくても、食うに困らず、医療は受けられるという社会保障がある国でこそ、通用する論理だと私は思う。これもアメリカ留学で得た教訓である。