昔の私の読者だったお医者さんが、若い頃の夢を実現したいので、東大受験にチャレンジしたいというメールをいただいた。こういう話は非常にうれしい。まだ東大にこだわるのかと批判する人もいるだろうが、文系学部でもう一度学ぶのは医者としての幅も確実に広げるだろう。心から応援したい。私の緑鐵受験指導ゼミナールについての質問もあったが、通信指導のためか、意外に社会人の入会者も多く、それなりの実績も残しているので、自信をもって勧めたい。確かに昔とは受験事情も参考書事情も違っているので、それなりに参考になると信じている。

私自身、民間の教育産業の経営者でもあるので、俗っぽく見られがちだが、教育にはそれなりの夢がある。本当は地方と都会、富めるものと貧しきものの教育格差を埋めることも、バカがほとんどいなかったころの日本の再建が夢で、たとえば、元読者や通信教育の受講生からノーベル賞を出すなどということにはあまり興味がない。僅かな天才を出すために、普通児童がわりを食うゆとり教育の発想は許せないと思っているくらいだ。天才を伸ばす教育というのはあるだろう。今の日本の大学のように、じじいの教授が若い研究者より偉そうにして、予算も握っているというシステムを改めて、お金もつけて若い研究者が自由に研究できるようにしてやればいいだろう。しかし、天才を「作る」教育ができるのかどうかは私にはわからない。

ただ、おそらくは、ノーベル賞をとる天才にも基礎学力は必要なはずだ。そうでないと名門国立大学を出た人間以外はノーベル賞をとっていないことの説明がつかない。

ノーベル賞の話をしたのは、ノーベル賞級の研究者を出すという夢のもとに、横浜市が作った市立サイエンス・フロンティア高校を紹介する番組を見たからだ。

この学校の夢がかなうかどうかは私にはわからないが、何十年も先のノーベル賞だけでは生徒がこないこともあって、まずは進学実績を出そうという考え方は現実的だし、集められた教員にも熱意があって、非常に好感がもてた。貧しい人間が東大に入るステップになってくれるのなら、エールを送りたい。

ただ、気になったのは、校舎が立派すぎることだ。100億円近くかけたという。

熱意のあるスタッフが、おそらく年収1000万円いかないくらいで頑張っている中、この建設の受注にまつわる利権はかなりのものだったのだろう。

日本の場合、OECDの中でも、教育支出はビリに近いのだが、いっぽうで公立学校の校舎の立派さは群を抜いている。詳しく調べてみないとわからないが、教育予算の中での建設関係予算は世界一なのではないか?世界一の義務教育といわれているフィンランドに行った際も、向こうの学校がツーバイフォーで建てられているのに驚いたくらいだ。

こんな建物に金をかけずに教員を倍にするとか、優秀な教員にインセンティブをつけるとか、ソフトにもっと金をかけてほしかった。

来賓に、今のご時勢、珍しいガソリンをまきちらすゴージャスな公用車で、市長が来ていた映像も映し出される。

週刊誌で書かれるような女性問題で金がいるから、こんな立派な校舎を建てたんじゃないかとワインを飲みながらこぼすと、「あんたのひがみよ」とワイフが返す。私のひがみであることを願いたい。