夜、食事をした人を妻と一緒に送った(私は飲んでいたので、運転できないため)ら、ゴールデン・ウィーク中の夜のせいか、甲州街道がガラガラにすいていた。

しかし、ご丁寧なことにパトカーが制限速度で走っている。休みの日であっても、夜であっても、制限時間は絶対に守らせるという意思表示なのだろう。

もちろん、飲酒運転より、スピード違反のほうが命を奪っているのは確かで、厳罰化で飲酒運転は激減しているはずなのに、夜間死亡事故の割合は10年前とくらべて2割も増えている。

ただ、このくらい国の財政が逼迫してくると、取締りのコストパフォーマンスは考えるべきだろう。

警察予算は、国と地方を合わせて、4兆円弱。とくに地方が3兆5000億円も出さされている。ところが、トップだけは警察官僚が本部長でくるため、地元の事情(公共交通機関がない。タクシーや代行を使う金のある人が少ない。都会と違って夜中に人が歩いていない)をまったく無視して、東京の感覚で飲酒運転の取締りをやるから、地方の飲食店がバタバタと潰れている。飲食店の経営者の自殺は、すべてがこれが原因でないだろうが、飲酒死亡事故が減った数より多いのは確かだ。都道府県に金を出させるなら人事権も要求すべきだろう。少なくともアメリカ基準の3分の1の飲酒で酒気帯び運転で捕まえ、場合によっては懲戒免職にまでなってしまうのはいかがなものか?

実は、交通事故の死者数の約6倍が自殺で死んでいるのが日本だ。うち1万人以上が経済理由とされる。

ところが、日本の生活保護費は2兆円で、警察予算の約半分である。

くだらない取締りに金をかけるのでなく、事故を起こした人間に、刑事罰や民事上の賠償責任を現状より重くして、注意を促すほうがよほどコストエフェクティブである。

違反と犯罪は違う。違反では誰にも迷惑をかけていないし、危害も加えていない(もちろん、騒音の違反のように迷惑をかけるもののほうが、スピード違反より厳罰化すべきだろう)。しかし、日本の場合は、違反のほうが好き放題に警察が捕まえ、ひどい目にあわせるのに、犯罪者は、きちんとした裁判を受け、警察も証拠をそろえるのが面倒なので、起訴猶予も多いし、罪も軽くなりがちだ。たとえば、集団リンチで人を殺しても、警察が殺意を立証するのを面倒がるので、傷害致死という罪状になるし、すると従犯の連中は、人を殺しても、平気で執行猶予がつくのである。

私は、集団犯罪で人が死んだり、怪我をした場合、未必の故意を認めたり、重罪化すべきだが、暴対法以上にヤクザには脅威になるので、自民党が、集団犯罪の厳罰化を喜ばないといううわさをきいたことがある。地方にいくと自民党とヤクザのつながりがそれだけ強いからだそうだ(これがウソである証拠に自民党の皆さんが集団犯罪の厳罰化に積極的な姿勢をみせてほしいが)。

集団犯罪に限らず、交通事故であれ、傷害致死であれ、結果責任を重くしてほしいし、交通の取り締まりにくだらない金を使うより、今は失業者の生活保護に金を使ったほうが、景気も回復するし、それによって増えるかもしれない交通事故死者の数倍の自殺が防げるはずである。