私がたくさんの本を出しているのは、多くの人が予想するとおり、かなりの部分の本を(もちろん、自分で書く本はある。実は、私は書くのがものすごく速いのも事実だ)口述筆記で作っているからだ。

今でこそ、口述筆記というのが恥ずかしくなくなりつつある。昔はゴーストライターを使っているなどといわれたが、口述とゴーストとは違う。ゴーストライターというのは、芸能人などが本を出すときに、1回くらいインタビューをして、あとは、その芸能人のイメージに合わせて(プロダクションの要望なども聞くのだろうが)、勝手にライターのほうがかいてしまう本だ。口述というのは、こちらが話した内容を、ライターがまとめて、ある程度、調べものをしてくれたり、話し言葉のてにをはを変えてくれたり、構成を変えてくれたりして、話した内容を元に本を作ることだ。

私がアメリカにいたとき、精神科のドクターなどは、タイピストに話をして、原稿を作るというスタイルを論文を書くときですらやっていてびっくりしたことがある。アメリカでは、比較的用いられるスタイルのようだ。

日本の場合、養老先生が、『バカの壁』で、これは自分が書いていない最初の本だと公言したり、藤原正彦さんが、『国家の品格』で講演録をもとにして作った本だということを公言して、口述筆記というスタイルでもオリジナルであることが認知されてきたようだ。

この場合、いいライターがつくときわめて楽だ。構成もすっきりして読みやすいし、自分の言いたかったことが本の形になっていると、ちょっと嬉しくなることさえある。データの裏づけもきちんととってもらえると相当手間が省ける。

ただ、ひどい口述のライターにあたると逆に悲惨だ。構成がめちゃくちゃだったり、論理が破綻していたりで、目も当てられないこともあるし、文章が下手、ネットでちょっと調べればわかることも調べないで、しゃべったとおりの文章だったり、逆に、こっちが言っていないことを勝手に書き足したり、自分が著者であるかのように暴走することさえある。

ここしばらく、初めてのライターにあたることが多くて、ワードで原稿を送ってもらって、上書きをしているが、2回続けて、分量が足りないから、5割くらい書き足せという。こんな話もめったに聞いたことがない。これまで経験的にどれだけ話せば、どれだけの原稿ができるかはわかっているつもりなのだが、仕方がないから書き出すが、こういう人は、確かに、こっちがしゃべっていないことを書くことはないが、一つ一つの話の枝葉を削りすぎて何が言いたいのかがよくわからない。

泣く思いで書き足しているので、やっと引越しが一段落着いたのに、また夜がよく眠れない日が続く。物理的な睡眠不足の上に、腹が立って眠れないのだ。

前のライターは、まだ調べものだけはきちんとしてくれたが、今回の本は、ネットでいろいろな情報が調べられるからアウトプットが簡単になっているという本なのに、肝心のライターがそれをしていない。

データにあたる大切さを論じている本なので、そこが大切と思って、いちいち調べものをしながら書いているのだが、これが予想以上に時間がかかる。ライターのほうが、こちらの苦労を考えずに、いろいろな話を持ち出すからだ。

ライターのできが悪いと、手を入れる量が増えるから、少なくともこちらから見るといい原稿になるというパラドックスがなんとかならないのか?

しかも、このライターは能天気で、早く出したいからと催促のメールをしょっちゅう送ってくる。こちらに急いでほしいなら、もっときちんと調べたり、もっと仕上がりのよい原稿を送ってこいとか、こっちの寝不足を何と考えているのかといいたくなるが、喧嘩をしても始まらないから、こうしてブログを書いている。

そう思っているときに、新潮新書『人生の軌道修正』の見本が送ってきた。

これは、本当に素晴らしい出来だ。さすがに『バカの壁』や『国家の品格』を口述で作っただけのことがある。私が書くよりうまいくらいだ。私らしさも、すごく出ている。絶対の自信作。

ライターのできで、こうも本が違うものかと痛感した一日だった。