最近は、引越しでいるものといらないものの分別に追われている。

らくらくパックのようなものを使いたいのだが、こういう機会にやらないと、どんどん要らない資料がたまってしまうのだ。

かなり捨てても、かなりの量が残る。私はやはり捨てられない人間の一人といえる。たまたま、『スッキリ』でさかもと未明さんの捨てられない、片付けられないぶりが報じられていたが、人のことは言えない。
こちらのほうが、ちょっと部屋が広いだけの話なのだ。

さて、小沢問題が、今度は二階経産相にまで波及して、けっこう大きな疑獄になりそうだが、もともと今回の問題は、贈収賄のレベルにまだいっていない。企業が献金を禁止されて、個人献金という形をとらないといけなくなって、ずるをしたという話だ。だから、民主党サイドは、微罪であることと、手続きの変更をきちんとやらなかったくらいで、逮捕するのはおかしいというような言い訳をしている。

ひょっとしたら、その言い訳が正しいのかもしれない。西松建設が小沢氏の便宜供与を受けていないのなら、大した罪でないことで法律を犯したことにして、選挙妨害をやっているといえなくもない。

しかし、ここで忘れてはいけないのは、国会は法律を作るところだということである。

企業からの献金を禁止して、個人献金の形にしなければいけないことや、その抜け穴を埋める法律を作ったのは、国会のはずだし、この件に関しては、民主党だって賛成したはずだ。

日本には議員立法という変な言葉がある。アメリカでは、原則的にすべての法律は議員立法で、官僚が作る法律などないそうだ。

自分で作っていないから、法律を知らないし、守れないような法律を作るべきでもない。

たとえば、いくつから成年の扱いにするかについて、選挙権を18歳からにしても、飲酒は20歳からを変えないという。

しかし、誰もが破るような法律を作って、ときどき警察が気に入らない人間を逮捕するのに使う、たとえば政府の批判をしている大学教授を、ゼミの新歓コンパで新入生にビールを注いだ時点で逮捕できるような法律を残しておいていいのか?あるいは、本気で守らせる気なら、渋谷の居酒屋街で、警察を用意しておいて、未成年者を一網打尽にできるのに、それはやらない。

守れない、みんなが守らないような法律を作って、警察の裁量でつかまえるかどうかを決めるから、警察国家になるのだ。

もう少し、法律を作る際に、守れるかどうかとか、作った以上は守ろうとか、文案を官僚任せにしないとか、国会議員ともあろうものが考えないからこんなことになる。

そういう点では、立法府の中の今度は多数派をしめようとする政党の代表がこんなに法律を知らないのでは話にならない。

もちろん、法律をつくる最大の責任者は与党で、野党が反対した法案なら破っても仕方がない点もあるが(もちろん、法治国家としては許されないが、スジ論として)が、法律を作る与党が破るのは、もっと言語道断だ。

その点では二階氏のほうが罪が大きいかもしれないが、善悪の二元論だけでなく、法律とは何か、立法府とは何かを考え、「民主党は守れない法律を作りません」とでも、言ったほうがインパクトがあるのではないか?

ただ、日本人は建前が好きだから、守れない法律があるだけでも嬉しいのかもしれないが。