今朝は、朝ごはんを食べ終わったら、またPCが凍ってしまって、仕事がやり直しになる。

VAIOのtypeRが悪いのか、WindowsのVistaが悪いのか、何年前の機種かと思うくらい、基本的な使い方の進歩がない。かえって悪くなっている。仕事でPCを使う人はVAIOのような遊びのPCは使うなということなのだろう。

さて、日本に帰ると、麻生首相が郵政民営化に賛成でなかった発言をして、それに小泉元首相が怒り狂ったという発言が話題になっていた。麻生氏の支持率はなんと一桁になったと報じられていた。

私は小泉氏が世襲をしたことも、あるいは、派手な構造改革をやったために在任期間中の自殺者数で日本の記録を作った首相であることも、米百俵の話を引き合いに出しながら教育予算を充実させなかったこともすべて不快に思っているが、選挙の歴史的な勝ちは認めるべきだと(つまり私が不快に思っても、世襲以外は
民意の支持を得ている。世襲もおそらく選挙区では支持を得るだろう)考えているし、第一、それが民主主義の基本だ。

今、それ以降の首相がいろいろなことを決めるのに、3分の2ルールを使っている。もとはといえば、安倍首相時代に選挙で負けたから、こんなルールを使うしかなくなったのだが、それが誰のおかげでできているのかを少なくとも麻生首相は考えるべきだ。当時、この法案に賛成をしておいて、今さら、党のトップが反対などということが許されるわけはない。自分で、郵政民営化を逆戻ししたいといって、民意を問うべきだ。

自分の政策が支持されているかどうかをみるのは、選挙しかない。民主党だって、政権をとって1年くらいたったら、一度、民意の確認をしてほしいくらいだ。

さて、同じ情報番組で、高齢者のブレーキとアクセルの踏み間違い事故の特集をしていた。さらに地方では高齢者の免許の返納(これも東京の警察庁が言い出したことだ)が進まないという。

ブレーキとアクセルを踏み間違えて何が危ないというと、急ブレーキをかけるつもりでベタ踏みになるからだそうだ。ならばアクセルを踏めない車にすればいい。地方の人間は、高齢化が進む中、生活の道具を取り上げられたら、生きていけない。また高齢者は、車が使えなくなると、生活や活動の範囲が狭くなって、老化が進むという話もある。しかし、アクセルが踏めなくて、加速が楽しめなくても困る人はいない。追越だって、高速道路でETCをくぐったとき以外は60km以上出せないようにすべきだ。飲酒運転の10倍の人間がスピード違反で死んでいるのに、こちらに甘いのは、やはり東京の発想だろう。

少なくとも、今の地方は、モータリゼーションが進んだおかげで、公共交通が乏しいし、歩いている人も少ない。飲酒事故と同じで、東京のように公共交通が豊富で、夜中歩いている人が多いのとは違う。

要するに、東京と地方の取締りを一律にするほうがおかしい。しかし、警察官はすべて地方公務員だというのに、県警本部長だけは全国一律で東京の警察庁の人間だ。これでは何のためにGHQが憲法に地方自治をもちこみ、地方警察に組織換えしたのかわからない。

私は、教育長や県警本部長は、公選にするか、あるいは選挙で選ばれた知事が任命する制度に変えるべきだと考える。

民意が、高齢者には運転させないと決めたのなら、それはそれで民主主義である(あとで自分の首を絞めることになっても、命を守りたいのだから)。

しかし、東京の警察官僚が、地方の生活を民意を踏みにじって、不自由にすることは許されない。そうでなくても、地方と東京の格差が進むだけなのだから。