元巨人の桑田が早稲田の大学院に入ったそうだ。

大卒でなくて、いきなり大学院といい、たった、1年というカリキュラムといい、なんでここまで特別扱いするのかがよくわからない

大卒の東国原氏だって、大学から入りなおしたはずなのに。

広末を入学させては、すぐにやめられたり、有名人であれば、それだけで入れてしまう早稲田大学だが、逆に心ある受験生にはなめられている。いまや慶応と早稲田に受かって、早稲田にいく人間は学部にもよるが、1-2割になってしまったという。

それでも、野球や駅伝が強ければいいのか?

入試問題は、慶応はずいぶん工夫しているのに、相変わらずマークシート主体。ほとんどの学部で入試に数学を課さないし、どんどん学部を新設して定員を増やすし、付属の小学校まで作るし、どんどん付属学校を増やしている。

これではレベルが下がるのは当たり前だ。

それでもOBが文句を言わないのが、早稲田のいいところなのだろう。

ただ、勝ち組に優しい、早稲田に入ってから勝ち組にするように教育するのでなく、勝ち組にすでになっている人に暖かいところは、現代的大学といえるのだろう。

ただ、私は人間は結果で判断されて仕方ないと思う。

一生懸命ブログを書いていても、芸能ネタを書いた日にだけ、読者数が増えるとか、勝ち組になりたければ、大衆の心理をわからないといけないことも痛感している。

そういう点で、私が評価を上げたのは、朝青龍の主治医の本田医師だ。本業が精神科医でないとか、わけのわからない診断を下したとか非難するのは簡単だが、結局のところ、自分の診ている患者がよくなったか、メンタルに強くなったかで、医者の能力は評価されるべきだ。論文の数とか、理屈で評価されるから大学の医者ばかりが威張っているが、多くの人たちは実績は惨憺たるものだ。

昔は、精神分析医の目標は、3年なら3年の精神分析を受けた後は、治療者に頼らなくても心の自立ができるようにすることだった。そういう点では、何十年も分析に通い続けるウディ・アレンはダメ患者だし、その分析医はダメ分析医ということになる。しかし、コフート理論では、分析医に心理的に依存しながら社会的に成功できるなら、あるいは心理的に幸せならそれでいいじゃないかということになっている。そういう意味ではウディ・アレンはいい患者だし、分析医はできのいい治療者ということになる。

この理屈でいくと、朝青龍はいい患者だし、本田医師は意外に優秀ということになる(もちろん、ほかの患者の治療実績は大切だが、朝青龍にとってはいい治療者という意味だ)

映画だって、賞をとっても客が入らないとダメといわれても仕方がない。

私もモナコの映画祭でグランプリをとって浮かれていたが、客が入らないので、いろいろと苦労している。

送りびとが賞をとるかどうかはしらないが、客が入ったのは立派だ。

ところで、その受賞作の『受験のシンデレラ』のDVDが2月25日に発売される。

今度こそ、立ち直したい。

子供をもつ親御さんには、勉強をやる気にする映画だし、受験テクニックも本物だ。

がんの緩和ケアについてはいちばんわかりやすい映画と自負している。

そして、なける映画にもなっている。

レンタルなら3-400円の投資のはずなので、ぜひ一度見てほしい。

できれば、アマゾンで予約注文してほしいが(私のインタビューなど特典がついている)

もっとお金のない人は図書館で希望リストに入れてもらってもいい

(DVDが出た時点でいろいろ書くがしつこいと思わないでほしい)

勝ち組に本当になりたいものだ。