センターも終わって、受験シーズンも本格化してきた。

いくら、アメリカがへたったからと言って、ほとんどの国が学歴社会化、知識社会化が進んでいるのだから、勉強をしていないと淘汰される。やはり、しっかり勉強をするに越したことはない。

さて、これで思い出すのは、『ドラゴン桜』で桜木が語った「バカとブスは東大に行け」(順番が逆だったかもしれないが)ということばだ。

この漫画にはいろいろ文句もあるが、これは真髄をついた名言だ。こういう名言がないから、私のほうは売れないのだと反省する。

確かに、本当に頭がよければ学歴などいらない。逆に言えば、学歴なしで成功したければ、学歴がある人以上の才能がないといけない。ここがわかっていないから、学歴がいらないなどという錯覚に陥るのだ。学歴がなくても、成功できるレベルの頭のいい人間は1万人に一人(一生食っていけるというならもっと少ないかもしれない)くらいだろう。東大は、1学年の400人に一人以上は受かる。(大学生の150人に一人は東大に入る)

前にも述べたように、自分が脳の小さい、将棋も勝ったことがないバカだからわかるが、バカをリコウに見せるいちばんいい方法は学歴をもつことだ。バカでもなんとか生き延びていける。自分が賢いと勘違いして不遜な態度をとるとまずいが。

さて、ブスのほうはというとどうか?

確かに東大の女性は東大生にもてる。相当、レベルが低い人でもたいてい彼氏がいた。やはり話があうからなのか、昔から東大にあこがれるように親から刷り込まれていたのか、東大の男性の半数以上は東大の女性が好きだ。まだ東大は男性が女性の倍いるから、これも市場価値をもつ。

ただ、ブスな人というのは、意外に謙虚(自己愛が傷つけられて性格がねじまがっている人もいるが、これは東大に入っても治らないで、よけいに嫌な女になることが多い)だし、カレシをつかんだら離さない努力をする。世間でブスといわれている人が玉の輿に乗ることが多いのもそのためだろう。

ところが美人は不幸だ。

確かに、美人と食事をしていたら気分もいいし、つれて歩いても自慢できる。でも、本質的なところで話があわないと、なかなか結婚する気になれないだろう。

ところが、とくに若いうちは、そういう理由で男が離れていっても、すぐに次の男が声をかけてくれるから、なんとなく満たされるし、自分を磨くチャンスを逸してしまう。

中高年になって、結婚しそびれて、手に職がないという、美人の転落という話は枚挙に暇がない。

今後、欧米のように知的レベルと収入の相関関係が高くなると、エリート男性にとって、ますます美人は、GFにするにはいいけど、ずっとつきあうには的な存在になっていくかもしれない。整形技術もあがってくると美人の希少価値も薄れていく。

だからこそ、美人のほうに知性を磨いてもらいたい。それが生き延びる最大のポイントだ。

美人で東大に入れば、タレントだって、アナウンサーだってずっとなりやすい。

美人弁護士とかいうと、すぐにテレビのお呼びがかかるだろう。

それ以上に、知的レベルも高くて(高いと思われて)、美人だとエリートは選び放題だ。

バカとブスは東大に行けでなく、バカと美人は東大に行けである。

すると、男のほうももっと東大希望者が増えて、日本の子供の学力も上がるだろう。