新聞を見ていたら、かんぽの宿を、オリックスに払い下げるのに鳩山総務相が待ったをかけたらしい。

けじめとしては当然のことだ。

古い話だが、リクルート事件だって、規制改革に都合のいい質問をしてもらうとか、余計な行政指導をさせないために未公開株を配ったことが贈収賄だという話になった。

リクルートが質問をさせたり、審議をさせた内容はむしろ進歩的なものだったが、それが結果的にリクルートの得になることだったのと、お礼を渡してしまったことが問題になったのだろう。

もちろん、今回の件では表面上のお礼は表に出ていないが、規制緩和や郵政の民営化などの実質取り仕切りを行う委員とか委員長をやっていた以上、それが自社に都合のいい結果になるのなら、辞退するのは当たり前だ。そうでなくても、認知科学の考えでは、意識していなくても、自分の都合がいいように判断を行いがちになるとされている。今後も、委員になった以上、自社の都合のいい取引ができなくなるという前例を作っておかないと、この手の判断の意識しないモチベーションになってしまうし、判断が歪む。

さて、朝テレビをみていたら、臓器移植がらみで、島田紳助が陰日なたに応援していたという美談が出ていた。

「同情するなら金をくれ」という名言があるが、これはわれわれが心理学で共感について話すときにときどき使うたとえ話だ。

本当にお金がないときに、同情されても嬉しくない。でも「金をくれ」とはいえない。たとえば、会社がつぶれて夜逃げなどをする際に、親友がわかってくれるかもしれないと思って会いに行く。親友は、「お前がそんな風になると思わなかったよ」と同情してくれても、実はわかってもらえた感じがしないで、かえってみじめな気がするかもしれない。「おれも全部、カミサンに財布握られてて、こんだけしかないけど、足しにしてくれよ」とかいって、2万か3万、くちゃくちゃの紙幣を渡してもらったほうが、ほんとうにわかってもらえた気がするだろう。これが共感だ。「こんなにぼろぼろになってでも、俺に会いに来たのはどういうことだろう」と相手の身になって想像することだ。

売れっ子芸能人という立場であれば、相手に手紙を出したり、激励のことばをかけるだけで感謝してもらえるし、今日出ていた人も喜んでいたのだから、共感されたといっていい。

でも、いっぽうで、本当に不景気でお金がない人もいっぱいいる。

外国のセレブは、寄付をしないと馬鹿にされるし、チャリティコンサートのときはノーギャラの上にさらに寄付をする人もざらにいるという。

日本のチャリティ番組は、出演者はみんな高額のギャラをとり、テレビ局の売り上げは普段より増える。

せめてギャラを返上したり、テレビ局もその日のスポットCM収入だけは寄付するくらいでないとチャリティといえない。

もちろん、本日の紳助氏の話は美談だし、それをやらない人よりははるかに立派なことだ。

でも、本当は、あれだけの収入があるのだから、自分にとって本当にできて、本当に喜ばれるチャリティは何かを知ってほしいということもいっぽうではつい感じてしまった。

経済的理由で自殺する人は、移植を受けられなくて死ぬ人の数十倍はいると推定されるのが、現代の日本である