さて、自殺する人の命は粗末にされ続けているが、交通事故死者は8年連続して減って5155人になったという。

損保の会社と警察はさぞ喜んでいることだろう。もちろん、私も人が死ぬのが減るのを、とくに同胞の命が奪われることが減るわけだから嬉しくないわけはない。

ただ、一つ言いたいのは、人間の死ぬ確率は100%で遅いか早いかの違いだけだということと、平均寿命を50歳から80歳に伸ばすのは、医学や衛生状態の進歩があればそう難しいことでないが、今から90歳を目指すのはやはり相当難しいというのと同じように、先進国で最低レベルになった交通事故死者をこれ以上減らそうとすれば、社会生活に無理がくる可能性が大きいということだ。

要するに死亡事故を10000件から5000件に減らすより、それを4000件に減らすことはかなり難しい。その分、無理な取り締まりをせざるを得なくなるということだ。

極端なことを言えば、車の私的利用を禁止すれば、交通事故死者1000人というのも夢でなくなるかもしれない。しかし、それでは自動車会社も困るし、それ以上に田舎の生活が成り立たなくなる。だから、多少の死者が出ても、そこまでは禁止しない。

要するに、資本主義社会の維持や社会の利便性のために、ある程度の犠牲は出ても仕方がないというのが社会のしくみなのである。

とすれば、本来、警察というのは、社会との兼ね合いを考えて取締りをしないといけない。

どう考えてもすいすい走れる道で30km制限をして、これで事故が減るというのだろうが、いろいろな意味で不自由が生じるだろう。またサイエンティフィックな考え方をするなら、30km制限に比べて60km制限にしたほうが本当に減るのかも実証しないといけない。もちろん道によっては30km制限にsたほうが安全な道もあるだろうし、そうでない道もあるだろう。

とにかく、警察は地方に本部があるのに、本部長がみんな警察官僚なので、東京の発想でしか取締りをしない。道路に人が歩いているところと、そうでないところで制限速度は違って当たり前なのだが、本庁に逆らうと出世ができないから地方の人間の生活はおいてきぼりだ。

それでも、死亡事故が減ったという実績があるから、取締りをどんどん強化する。

でも、本当に取り締まりのおかげで減ったという科学的なエビデンスがあるのだろうか?

高齢者が増え、交通量が減っているというデータもあるし、ブレーキだって、エアバッグだって安全性の向上も著しい。

たとえば、ナイフであれば(一部の危険なものは所持が禁止されているが)、使うことに規制を加えず、それで人を傷つけたり、殺したときに初めて罪になる。

飲酒運転も事故を起こした時に厳しくすればいいのであって(取締りを厳しくしたときより、飲酒事故の最高刑を重くしたときのほうがはるかに飲酒死亡事故は減っている)、地方の人からコミュニケーションや数少ない楽しみを奪っていいのかと感じてしまう。

警察にしてみれば、自分の腕で凶悪犯罪が捕まえられなくなって、一斉検問でちょっとお酒をひっかけたくらいの市民を捕まえるのがカタルシスになるのだろうし、また肝心の犯罪検挙率が落ちているので、交通事故死者が減ったということで警察が役に立っていると示したいのだろう。

しかし、これ以上、減らすのが困難になっていて、自動車会社がつぶれることで食べれなくなる人や自殺する人が増えているのに、もっと事故を減らすために、どんどん取締りを強化すべきなのかにはやはり疑問が残る。

少なくとも自殺は交通事故死者の6倍いる。

それを減らすほうがおそらくは容易だろうし、現実的な問題だ。44歳までの死因のトップが自殺だと考えて、警察が市民生活をさらに窮屈にしないことを切に望みたい。

ちなみに交差点にお巡りさんが出ると必ず渋滞が起こるのは何とかならないのか?

教習所ではいちばん最初に警官の手信号のほうが、信号に優先すると習う。

左折信号のない交差点で、警官が機転がきけば、渋滞も解消するのに。

バカな警官のおかげで地球環境が悪くなり、結果的に熱帯地方の人の命を奪っていることは、警察官僚もちゃんと勉強してほしい。