ときどき嫌がらせの手紙がくる。

しかも、自宅の住所を調べて、自宅の近くの郵便局の消印でだ。

しかし、警察はあまりまともに取り合わない。

大衆を守るより、大衆をいじめるために警察があるのは、北朝鮮とそっくりだ。

しかも、北朝鮮と違って、税金で雇われているというのに。

今回は、愛国者を名乗りながら、右翼の悪口をいうのが許せないので、お迎えにあがるというものだった。

愛国者が右翼の悪口を言ってはいけないのか?

愛国というのは、国を愛する気持ちのことで、左翼の愛国者だっていてもおかしくない。

私の愛国の定義は、国のメリットになるように国民が動くべきというものだ。

私は反戦論者ではないが、負けるような戦争をいきがってやるのは、愛国者どころか、国賊だと思っている。だから、前の戦争の敗戦の責任者を愛国者と思わないし、あんな人たちを英雄視するのは、むしろ異常なことだと思っている。天皇陛下にしても、昭和天皇にしても、彼らのことを苦々しく思っていたことだろう。

勝てそうな戦争ならして、負けそうな戦争は外交で避けるというのがセオリーだろう。

あるいは、勝てる戦争だって、国力を疲弊させるならやるべきでない。石原莞爾は、日中戦争について、戦費がかかりすぎるといって反対したそうだが、彼こそが愛国者だ。

アメリカも勝てるけど金のかかる戦争をやって、国力を弱めたし、ソ連がほろんだのも、北朝鮮が貧しいのも、経済力の裏付けがないために軍拡をやったからだろう。

景気がいいときならいざ知らず、景気の悪い時に9条改正とか、常任理事国入りとか、頭がどうかしている。

戦死の前に、年にわが愛する同朋(貧しい同朋が野たれ死んで自業自得というのが、本当に愛国者だろうか?)が3万人以上も自殺するのをなんとかするのも国防だろう。

教育レベルをあげて、外国に負けない、とくにアジアの周辺国に負けないようにするのも愛国だ。

私は、右翼について、二つの面で、懐疑的である。

一つは、国を強くしろとか、軍事力を高めろとかいう割に、自腹をきる覚悟がないことだ。右翼団体の連中は税金をろくに納めていないし、国を強くするために、税金があがっていいという保守の話も聞いたことがない。小林よしのり氏はポチ保守と、アメリカべったりの連中を呼んだが、私はこの手のケチ保守も問題だと思っている。国より私有財産が大事な人間が愛国者と呼べるのか?

もう一つは、最近になって教科書問題で、仲間割れも生じているようだが、相互批判が少ない点だ。

たとえば、私のところに嫌がらせをするような自称右翼に、「お前らがちんぴらのようなことをするから、運動が誤解される」と一括する人間がいない。街宣車を出す連中をとがめる人間がいない。

左翼はけんかの連続で、共産党と新左翼はいまだに仲が悪いし、いまだに内ゲバもあるようだ。

それがいいとは思わないが、自分の頭で考えれば、相互批判くらいはあっていいはずだ。

健全な愛国者、健全な右翼が育ってくれることを切に願いたい。