結局、昨夜もゼロのニュースをみて、医療崩壊を救うために患者ができることについての、この番組の解答を知った。

答えは、大したことのない病気で救命救急センターを使うなということだった。

確かに、これは正しい。国民皆保険で安く医者にかかれることが長く続いたこの国は、世界でも例外的なほど、安易に救急受診する。ヨーロッパは医療費はタダの国が多いが、熱が出たくらいで医者にかからないコンセンサスもできている。アメリカの場合は救急車を呼ぶと数十万単位の請求がくるので、覚悟の受診になる。

日本では、救急受診に3990円の特別加算をつけたら、患者が4割減ったということがその番組で報じられていた。

でも、本当はまた6割も残っている。もう一桁多いくらい、つまり39900円くらいでいいのではないか?そのくらいなら、軽い病気なら夜間診療所のほうをまず利用するようになるだろう。

ただ、そういう形でマンパワーに余裕をもたせるのも大事だが、もっと本質的な問題があると私は考えている。

たまたま、昨夜、林真理子先生の新しい小説の取材で、一人若い医者を紹介して、食事をした。

もともとは、私の本を読んで東大の理Ⅲに合格し、私の通信指導、緑鐵受験指導ゼミナールの講師だった人だが、今は救命救急医をやっている。この仕事に生きがいを見出して、医局をやめたという。

話を聞いていると、スキー場で交通事故にあった女性を救って(一緒に救急車に乗り、そこで若いのに指揮をしたという)、自分の仕事の価値を再理解したという。

彼の勤める病院は、院長の方針で、ほとんどの救急患者を受け入れるという。恐ろしいほど忙しくなるが、同時に急患が運ばれても受け入れるし、軽い患者も嫌がらずに診ているようだ。

やりがいがあれば、これができるのだと再認識した。

では、何がそのやりがいを支えるのか?

おそらくは、患者の感謝と尊敬だろう。

彼の救急医としての毅然とした態度と、経験が生む自信が、スキー場のそばの病院でも、10歳以上も上の医者やナースを納得させたのだろう。

同僚や一般の人から尊敬されれば、人間はやる気になる。

医者の世界だって、金を稼ぐ人より、大学病院に残る医者のほうが、患者からも同僚からも尊敬されたから安い給料でも、教授が威張る不愉快な環境でも、かつてはみんな大学に残ろうとした。

それがなくなれば、すぐに拝金に走り、楽に走ってしまう。空前の開業ラッシュになり、また美容外科の志願者が殺到しているのだ。

尊敬される職業は、安い給料でも優秀な人材を集めることができる。

かつての官僚がそうだったし、フィンランドでも教師が尊敬される職業だから、そんなに高くない給料でも優秀な人材が集まるという。

人々が尊敬し、医者であることで、異性にもてたり、おいしいものが御馳走してもらえるなら、誰も金をそう稼ごうとしないだろう(それでも、子供に相続するためにがつがつ稼ぐやつがでてくるから相続税を高くすべきなのだ)。

しかも、尊敬される職業になれば、悪いことができなくなる。聖職だからという押しつけより、そのほうがよほど有効だ。

今は、それがない。

自己愛というインセンティブシステムが、コストがかからず、人材の確保につながるし、規律や技能をあげることができるのだ。

マスコミのまずすべきことは医者が尊敬されるように、価値観を変えていくことではないか?

医者のほうが変わらないと尊敬できないというかもしれないが、尊敬されれば、実は人間は変わるというのがコフートの教えだ。それを信じて欲しい。

だから、医者への憎悪を生む、医療費を上げるための消費税増税にも反対なのだ。