酒気帯び運転が免許取り消しになるそうだ。

誰も逆らえない話だが、たとえばスピード違反で人を殺しても責任が軽いと判定されれば免許は取り消しにならないだろう。

しらふでスピードを出しすぎたり、実際に事故で人を殺すのと、友達の家でビールを一杯飲んで交通手段がないし、人もろくに歩いていない田舎道を自宅に帰るのとどっちが悪いのだろうか?

東京の人間が作る法律だから、スピード違反や働かせ過ぎによる居眠り運転(こんなものは雇い主が悪いのだが)、携帯電話運転より飲酒運転ばかりが目の敵にされる。

地方の人間は友達の家で、ちょっと飲むことや家族で回転すしでビールを飲むことも許されない。

田舎の楽しみを奪ってそんなに気分がいいのか?

地方が、それでも人が死ぬよりはいいと考えて、厳罰化するのなら話はわかる。でも、地方によっては、そんなに飲酒死亡事故が起こっているわけではないし(一つの県でいくと平均年間10件だ)、飲食店がこれ以上つぶれたら景気にかかわるという判断をするところがあってもいい。あるいは、酒気帯びの基準だって欧米の3分の1というのは厳しすぎるという考え方もある。この基準と比べれば携帯電話のほうがはるかに危ない(アメリカの調査では、日本の基準の3倍の量のアルコールと携帯電話が同等とされている)。酒酔いは免許取り消しだが、酒気帯びはもう少し甘くてもいいし、今の基準だと前日に深酒すると翌朝の通勤でつかまってもアウトだそうだ。そしてたちの悪い警察は、朝に検問をするという。地方の人間は家でもたくさんお酒が飲めない。

お金のばらまきは地方に任せるというなら、酒気帯び運転の扱いだって地方に任せるべきだろう

酒気帯びを目の敵にするより、結果責任の考えや、地方自治の考えや、基準の弾力化くらいは考えられないのだろうか?前日の晩に、お酒を飲んで、朝の検問にひっかかって、免許を失えば、移動手段を失い、職を失うかもしれないということを東京の人間は考えないのだろうか?

そういえば、裁判員の制度が始まるというのに、取調べの可視化がほとんど進まないという記事も出ていた。

裁判官はプロだから、一定の確率で冤罪が起こっても、それほどトラウマにならないのかもしれないし、それを覚悟することで、お金をもらっているのだろう。私も精神科医だが、これまでに運がいいのか、一件しか患者さんの自殺にあたっていないが、それを反省材料に医療を続けている。しかし、素人が自分が相談にのっている相手が自殺したら相当のトラウマになるだろう。

裁判員は一生に一度しかできないから、冤罪は思い切り後味が悪いし、トラウマになりえる。だからこそ、取調べの可視化や代用監獄の廃止を望むのだ。

制度を作る以上、裁判員まで犠牲にならないようにもう少ししっかりしてほしい。

何でも警察の都合よくいく国だと思えば大きな間違いだ。