児童生徒の暴力が過去最多の数字になっているという。とくに小学生の暴力が増えている。

いじめのほうは減っているらしい。

これについて、いろいろな説がまた論じられるだろう。

親の問題、脳の問題、生活習慣、社会のストレス

しかし、今回は学校内での調査である。小学生がいちばん増えているということは、もちろん、親が朝ごはんを食べさせていないとか、愛情やしつけの問題もあるだろうが、やはり学校内の教育の問題と考えるべきではないか?

一つは、厳しく叱れない教師の問題だ。

モンスターペアレントに気を遣い、さらに感情の抑制の悪い子供が昨今はアスペルガー障害の診断を受けて、「病気なのだから仕方がない」という扱いを受ける。

ADHDであれ、アスペルガーであれ、学校では問題児だが、病気だから叱ってはいけないというのが、あるいは差別的な扱いをしてはいけないというのが定説になっている。

ただ、この手の発達障害が急に増えるというのはどういうことなのだろう。

おそらくは、むしろ発達障害だからこそ、程度問題があるのではないか?

要するに、病的レベルに発達の悪い中核群と少し衝動のコントロールが悪かったり、人の感情が理解できないレベルの軽症群がスペクトラムを描いているのだろう。そして、軽症レベルであれば、しつけや叱られるのが怖いということで行動の矯正が可能なのだろう。だから、昔は少なかった。しかし、診断がついたら、免罪符のようになれば、叱られることもなくなり、行動の矯正も不能になる。

どのレベルまでは叱ったほうがよくて、どのレベルが叱ると逆効果になるのかは、もう少し研究の余地があるだろうが、軽症例の場合、そのために社会適応が悪くなるのはむしろ不幸だ。

もちろん、この手の病気でなくても、どのレベルまでなら教師が叱っていいのかのコンセンサスが必要だろう。体罰が悪いというにしても、教師が怒ったら多少は怖くないと、子供の行動の矯正は難しくなる。

もう一つの問題は、中学教師を長く勤めた小河勝大阪府教育委員の指摘だ。

要するに小学3、4年で勉強がわからなくなり、学校がつまらなくなるから問題を起こすということで、この時期にしっかりフォローして、授業がわからないということがなければ、生徒はほとんど問題行動を起こさないという。

実際、カリキュラムを減らすより、わからないところに教師が早めに気づけば、かなり先取りのカリキュラムを行っても、生徒はついてくるし、問題行動が起きないことは私も岡山の朝日塾小学校に行って気がついた。

つまり、教師に自覚と権限があれば、かなりの部分が学校で解決できるのだ。

逆に内申書重視のメンタルヘルスへの悪影響も考え直すべきだ。

いくら頑張ってテストでいい点をとっても、教師が意欲や態度が悪いなどとみなせば、ペーパーテスト学力は内申点のわずか25%では、できのいい生徒ほど、教師の目を一日中気にしないといけなくなる。これが精神的不安定のもとになることは予想可能だ。

実際、観点別評価なる内申書重視の評価システムができた、93,4年ごろから中学生の校内暴力、生徒間暴力が激増している。

暴力を振るう子も、こういう悪政の犠牲といえるが、逆に暴力を振るわれる子供はもっとかわいそうだ。

陰山英男先生の指摘だが、この93,4年の生徒間暴力、校内暴力の激増後、生徒の不登校も激増した。学校が怖くていけない子供が急増するのだ。

守るべきは、子供の学ぶ権利だ。

暴力を振るう子供に何らかの特別学級を用意しないと、ふるう子供も振るわない子供も悲劇の種になる