また、と言っていいだろうが、飲酒ひき逃げ殺人事件が起こった。

引きずったり、ひき逃げをしなければ、死んでなかったケースだから殺人罪の適応は当然と言っていい。

ひき逃げの罪を重くしないと、飲酒事故の場合、見つかった際の罪が重いのだから、ひき逃げに走るというのもわかる。早朝に当て逃げかひき逃げをした小泉某という女優もいたが、気づかなかったというが、気づかないくらい酔っていたか、飲酒だと女優生命が終わるからだろうと言われているが、逃げたおかげで飲酒が証明されず、カンヌかどっかで賞をもらって、今でもトップ女優でいるのを見ると、その誘惑にかられる人間の気持ちもわかる。当て逃げ、ひき逃げが厳罰化されていたら、その女優だって今女優を続けているかどうかわからない。

これに対して、「どうしてこんなに人間の心が劣化してしまったのか?」と古館某というニュースキャスターが言い放った。いつも運転手つきの車に乗っている人間の言いそうなことだ。自分は飲酒をする可能性はあっても、飲酒運転をする可能性はゼロである。

一つ言えることは、酒というのは、政府公認で売り、酒税をとって政府の財源になっている(ギャンブルやタバコと同様に政府が必要悪と認めて、金儲けのタネにしている)依存性薬物である。

アルコール依存になってしまうと、本人の意思でそうやめることはできない。

酒を飲んで事故を起こすと、「人間が劣化した」とか言われるが、意思の力でやめることができない人もいる。しかし、しらふでスピード違反で事故を起こす人のほうが、意思の力で制限速度を守ることができるはずなのに、断罪されない。そして、死亡事故に関しては、飲酒死亡事故よりスピード違反による死亡事故のほうがずっと多い。

終電が遅くまであり、タクシーチケットが自由に使える東京のテレビ局の人間にとっては、飲酒事故のほうがスピード違反より悪いのだろうが、精神科医から見ると、自分の意思で守れることを守らずに人を殺すほうが、性質が悪い。

実際、飲酒をすると死亡事故が増えるかどうかについて、エビデンスがあるのかどうかはわからない。厳罰化の前なら地方の夜間運転の何割かは飲酒をしていた(少なくとも私が住んでいた水戸ではそうだった)が、飲酒死亡事故の割合は、飲んでいない夜間事故より少なかったのは確かだ。しかし、飲酒をしたほうが、けんかや痴漢のようなことは増えるようだ。酒に酔った人間が痴漢をしても、酒の上で許されることがままあるが、しらふで痴漢をやると確実に人間性を断罪される。

ならば、飲酒、あるいは家の外での飲酒そのものを禁止すべきだろうが、酒を作る会社が巨大なロビイストなのだから、それは行われない。結局、タクシー代や代行代が払えない貧乏人が狙い撃ちされる。

飲酒運転が厳罰化される前のほうが、ひき逃げは少なかったかもしれないし、今回や前の大阪のホストのケースのように、反社会性人格障害の要素のあるケースかもしれない。

飲酒運転ばかりを目の敵にするより、タバコのように飲酒そのものの問題もとりあげないといけないだろうし、しらふの自分の意思でとめられる交通事故(たとえば暴走族の危険運転やスピード違反)だって、結果的に人を殺すのなら同罪だろう。

自分たちがかかわるかもしれないことには甘く、(運転手つきの車にのり、タクシーチケットが使い放題の)自分がする可能性のないことには厳しいという人間に「人間の心が劣化した」などと言われたくない。

私も運転手を使える身分になって久しいし、アメリカに行かなければ飲酒運転をしないが、こういう気持ちは忘れないようにしたい。ただ、飲酒そのものが日本で禁止されたら、たぶん、海外に移住するだろう。税金が9割になっても日本のために税金を払い続ける覚悟はあるが、そのくらいのアルコール依存になってしまったのだろう。