ここしばらく、自分が歳をとってきて、自分の生い立ちを意識することが多くなったせいもあり、世襲社会に対しての嫌悪感をむきだしにしてきたのかもしれない。

世襲社会に対する批判が、ともすれば、「なんの苦労もせずに偉くなりやがって」という文脈で読み取られるとすれば、それは、反省しなければならないだろう。

今の若い人が努力をしなくなったご時世に世襲の人は、むしろ努力を強要される。

たとえば、医者の子供などは、小さいころから医者の跡を継ぐべく、医学部受験のために涙ぐましいほど勉強をさせられる。

たまたま、子供を成城学園の小学校にやっていたからわかることだが、こちらからみてぼんぼんと思っていた人が親の会社のあとを継いだために、手取り給料の9割を自社株の購入にあてていたり、資金繰りに悩む人もたくさんいた。雅子様ではないが、子供ができないと批判も強いようだ。

私が不快に思っている、史上最年少の女性大臣にしても、大学院で政治を勉強しなおしたりしているという話も聞く。

もう一方で、これだけ東京と地方の格差がつくと、世襲と言われても大臣になれるような人を議員に選ばないと、その地方が置き去りにされる悩みがあって、東京にいる人間に世襲に頼らざるを得ない地方の人間の気持ちがわかってたまるかと思う人もいるだろう。

そういう点で、世襲社会が、そう悪い社会だとは本当は言い切れないところもあるのはよくわかる。

世襲の方ご本人は悪くないし、おそらくだらけた大衆より努力もしている。また世襲議員を選ぶ有権者にも事情があるし、おそらくは、世襲の方の涙ぐましい努力がわかっているから、投票する気持ちもよくわかる。それに対して、僭越な批判をしたことは反省しないといけない。

ただ、残念ながら、私を含めて、ひがみっぽい世の中はそうはみない。

人々が、とくに子供たちが、どうせ、どんなに努力しても世襲には勝てないと思った時点で、努力をする人間が激減する。

昔、東大の苅谷剛彦先生が日本は統計的にみて、もっとも学歴と収入の相関関係の少ない国であるのに、つまり、学歴社会ではないのに、人々が学歴社会と信じていたので、親が教育熱心になり、子供が勉強したと書いておられたのをみてなるほどと思った。(逆にマスコミや私が今は世襲社会だと言い過ぎると、子供を余計に勉強させなくしてしまうというパラドックスも反省しないといけない)

実際、私が子供のころは、努力して学歴を得れば、今の身分から這い上がれると、かなり小さいころから意識した。

今、私が子供であれば、どう感じたのだろうか?

今生きている社会がどんな社会に見えるようにするかを考え、実行に移すのは、マスコミの責任も大きいが(たぶん、そちらの影響はずっと大きいように思える)、政治家の仕事でもあるように思えてならない。

そういう点で麻生首相は、あまりに軽率のように思えるのだ。

子供が受験競争でヒートアップしている時代であれば、大臣がすべて世襲で、受験生たちに「お前ら、努力しても無駄だ」と思わせるような組閣をしてもいいだろう。それで受験戦争は多少は緩和する。

しかし、子供が勉強しない時代は、その逆が必要だろう。

今回、消費税の増税を示唆したそうだが、なぜ累進に戻すといえないのだろうか?

オバマは金持ち優遇をやめると言う久しぶりの大統領になりそうだ。

昔のように、貧乏人が努力すれば這い上がれるという幻想を、多くの大衆が共有するよう社会が再建されるのを切に望むし、そう見せられるような人に政権の中枢にたってほしいというのが、学力低下と戦い続けている私の真摯な気持ちだ